「人にうそをつかないようにしている」
「できるだけ人に親切にしている」
「まじめに仕事をしている」
「悪いことをして、人を踏みつけてまで得をしたいとは思わない」
それなのに、なぜか人生はうまくいかない。
一生懸命に生きているのに、思うような結果が出ない。
正直に生きている自分よりも、ずるいことをしているように見える人のほうが、楽しそうに生きている。
そんな場面を見ると、
「正しく生きることに、いったい何の意味があるのだろう」
と思ってしまうことがあります。
「正しく生きていれば、いつか必ず報われる」
そう信じていた人ほど、苦しいかもしれません。
けれども、ジェームズ・アレンは、そんな私たちに、少し違ったことを教えてくれています。
「道徳心を備えた人は必ず勝利します。
しかし、そこには極限までその人を試す試練が待ち受けています。
闘わずして勝利はないのです。
闘いによってのみ、道徳的な力を得ることができるのです。
試練を通して力を証明することは、普遍の原理の一つなのです。
道徳はあらゆる成功の命です。」
この言葉を読むと、
「えっ、正しい人ほど試練にあうの?」
と思うかもしれません。
私たちは普通、「正しく生きれば、苦しいことは少なくなる」と考えます。
しかし、アレンはそう言っていません。
むしろ、正しく生きようとするからこそ、その正しさが本物なのかを試されることがあると言っているのです。
そして、ここに「正しく生きているのに報われない」と悩んでいる人への、大切なメッセージがあります。
今、あなたが苦しいからといって、あなたの生き方が間違っているとは限りません。
もしかすると今は、あなたの中にある善い力が育っている途中なのかもしれません。
「正しく生きているのに報われない」と感じるのは、なぜなのか
まず、私たちは「報われる」という言葉を、目に見える結果として考えがちです。
仕事で成功する。
お金が増える。
人から認められる。
良い人間関係ができる。
努力したことが、すぐに形になる。
これらはもちろん、うれしいことです。
でも、人生はいつもそんなに分かりやすくできてはいません。
正直に仕事をしても、評価されないことがあります。
親切にしても、相手から感謝されないことがあります。
一生懸命に努力しても、別の人が先に成功することがあります。
悪いことをしているように見える人が、たくさんのお金や名誉を手にしていることさえあります。
そんなとき、
「正しく生きる意味なんてない」
と思いたくなるのです。
しかし、ここで一度立ち止まって考えてみましょう。
「報われる」とは、本当に目に見える結果だけなのでしょうか。
たとえば、怒りたいときに怒らなかった。
うそをつけば得をする場面で、正直でいた。
人を責めたくなったけれど、自分にも反省するところがないか考えた。
困っている人を見たとき、自分にできる小さな親切をした。
誰にも見られていなくても、自分が正しいと思うことを続けた。
これらは、すぐにお金になるわけではありません。
人からほめられるとも限りません。
でも、その一つ一つの行動によって、あなたの中には何かが育っています。
それは、誠実さ、勇気、思いやり、忍耐、節度、穏やかさといった心の力です。
アレンが言う「道徳的な力」とは、こうしたものではないでしょうか。
だから、正しく生きることの報いは、いつも外からやってくるとは限りません。
正しく生きたことによって、自分自身が少しずつ変わっていく。
それもまた、大きな報いなのです。
試練は「あなたが間違っている証拠」ではない
苦しいことが続くと、私たちは、
「自分のやり方が悪いのではないか」
「もっとずるく生きたほうがいいのではないか」
と考えることがあります。
でも、アレンの言葉は、ここで別の見方を教えてくれます。
「そこには極限までその人を試す試練が待ち受けています」
という言葉です。
これは、とても大切な言葉です。
なぜなら、試練があることと、間違った生き方をしていることは、同じではないからです。
たとえば、「私は人に親切でありたい」と思っている人がいたとします。
何も問題がないときなら、親切にすることはそれほど難しくありません。
ところが、自分が疲れているとき。
自分自身が苦しんでいるとき。
相手から感謝されなかったとき。
それでも親切でいられるでしょうか。
ここで初めて、その人の「親切」というものが試されます。
「私は正直でありたい」と思っている人も同じです。
正直に言うと損をする。
うそをつけば自分だけ得をする。
そんな場面になったとき、それでも正直でいられるでしょうか。
ここで初めて、「正直」というものが本当の力になります。
つまり、試練とは、
「あなたの中にある善は、本当に生きていますか?」
と問いかけてくるものなのです。
だから、試練の最中にいるあなたを見て、
「あなたは失敗している」
と決めつける必要はありません。
むしろ、
「今、自分の心を育てる大切な時間なのかもしれない」
と考えることができます。
もちろん、苦しみを無理に喜ぶ必要はありません。
つらいものは、つらい。
悲しいものは、悲しい。
助けを求めてもいい。
休んでもいい。
逃げなければならない危険からは、逃げてもいい。
それでも、その苦しい時間の中で、
「私はどんな人間でありたいのか」
という問いを失わないこと。
それが大切なのだと思います。
「闘い」とは、他人に勝つことではない
アレンは、
「闘わずして勝利はないのです。」
と言っています。
この「闘い」という言葉を聞くと、誰かと競争したり、相手を負かしたりすることを思い浮かべるかもしれません。
でも、ここでの本当の闘いは、もっと身近なものだと思います。
それは、自分の中にある弱さとの闘いです。
怒りが出てきたとき、その怒りに負けない。
「自分だけ得をしたい」と思ったとき、その欲に流されない。
「もう面倒だから、適当にやろう」と思ったとき、それでも自分の務めを果たす。
「どうせ自分なんて」と思ったとき、自分を投げ出さない。
誰かに傷つけられたとき、自分まで人を傷つける人間にならない。
こうした小さな闘いです。
人生では、何度もこういう場面がやってきます。
そして、そのたびに私たちは選びます。
「怒りに従うのか」
「穏やかさを選ぶのか」
「欲に従うのか」
「節度を選ぶのか」
「うそをつくのか」
「正直でいるのか」
「自分だけを考えるのか」
「相手のことも考えるのか」
この一つ一つの選択が、私たちの人格を作っていきます。
だから、人生の本当の勝負は、他人との競争ではないのです。
昨日の自分よりも、今日の自分が少しだけ善くなれるか。
そこに本当の闘いがあります。
そして、その闘いに勝つたびに、心の中に少しずつ力が生まれます。
それが、アレンの言う「道徳的な力」なのだと思います。
人生そのものが、私たちを試す「学校」なのかもしれない
ここまで考えてくると、人生そのものについても、少し違った見方ができるようになります。
私たちは、生まれてから死ぬまで、たくさんの出来事に出会います。
うれしいこともあります。
悲しいこともあります。
思い通りになることもあれば、思い通りにならないこともあります。
出会いがあれば、別れもあります。
若い時代があれば、年を取る時代もあります。
元気な日もあれば、病気になる日もあります。
そして、最後には誰もが死を迎えます。
仏教では、人間が避けることのできない苦しみとして「生・老・病・死」が語られます。
生まれること。
老いること。
病気になること。
死ぬこと。
これらは、どれだけお金を持っていても、どれだけ成功していても、完全になくすことはできません。
では、私たちは、そんな人生をどう生きればよいのでしょうか。
ここで、今回のアレンの言葉と重ねて考えることができます。
もしかすると人生は、私たちが何かを手に入れるためだけの場所ではないのかもしれません。
自分の中にある善いものを育てるための場所なのではないでしょうか。
学校では、問題を解くことで力を身につけます。
人生では、出来事を経験することで心の力を身につけます。
学校では、テストによって今の力が分かります。
人生では、試練によって自分の心の状態が分かります。
怒りたいことが起きたとき、どうするのか。
悲しい別れがあったとき、どうするのか。
思うように結果が出ないとき、どうするのか。
人から認められないとき、どうするのか。
そこに、自分の心を育てる「問題」が出てきます。
そう考えると、人生の試練は、ただの邪魔ではありません。
自分の中にある力を育てるための問題集のようなものなのかもしれません。
もちろん、だからといって、苦しい出来事を「ありがたい」と無理に思う必要はありません。
つらいときには、つらいと言っていいのです。
誰かに助けを求めてもいい。
休んでもいい。
泣いてもいい。
それでも、その出来事を通して、
「私はどんな人間になっていきたいのだろう」
と考えることはできます。
そして、その問いを持ち続けることで、苦しみの中にも、少しずつ意味が見えてくることがあります。
人生の本当の勝利とは、「善い人間になること」
ここで、最初の問いに戻ってみましょう。
「正しく生きているのに、なぜ報われないのか?」
もしかすると、この問いの中には、「報われる」という言葉についての思い込みがあるのかもしれません。
私たちは、
「正しく生きれば、お金が増える」
「正しく生きれば、仕事で成功する」
「正しく生きれば、人から認められる」
「正しく生きれば、苦しいことがなくなる」
と考えてしまいます。
しかし、アレンは、もっと深いところに「成功」を置いています。
「道徳はあらゆる成功の命です。」
この言葉を考えると、成功とは、単に外側のものを手に入れることではないと分かります。
本当の成功とは、
「どんな人間になったのか」
ということなのではないでしょうか。
たとえば、昔はすぐに怒っていた人が、少しずつ怒りを抑えられるようになった。
昔は自分のことしか考えられなかった人が、誰かの苦しみに気づけるようになった。
失敗するとすぐに人のせいにしていた人が、自分にも原因がなかったか考えられるようになった。
お金や評価ばかりを追いかけていた人が、「何が正しいのか」を考えるようになった。
こうした変化は、新聞に載るような成功ではありません。
人から拍手されることもないでしょう。
けれども、その人の人生にとっては、とても大きな成功です。
なぜなら、人格という、一生失われない財産が育っているからです。
人生で何を手に入れたかは、いつか失うかもしれません。
お金も失うことがあります。
地位も変わります。
若さも変わります。
体も変わります。
環境も変わります。
しかし、長い時間をかけて育てた誠実さや思いやり、勇気や穏やかさは、その人自身の中に残ります。
だからこそ、
善くなることこそ、人生の本当の成功なのではないか。
そう考えることができます。
「報われていない」と感じるあなたへ――今の努力は消えていない
もしあなたが今、
「こんなに正しく生きているのに、どうして自分ばかり苦しいのだろう」
と思っているのなら、どうか自分の歩みを簡単に否定しないでください。
あなたが正直に生きてきたこと。
人を傷つけないように努力してきたこと。
苦しくても仕事を続けてきたこと。
誰かのために我慢してきたこと。
何度失敗しても、もう一度やり直そうとしてきたこと。
それらは、決して何もなかったことにはなりません。
目に見える結果がまだ出ていなくても、あなたの中には何かが残っています。
忍耐する力。
正しく考える力。
人の気持ちを考える力。
苦しみを知っているからこその優しさ。
失敗したからこその謙虚さ。
こうしたものは、人生の中でとても大切な宝物です。
アレンは、
「闘いによってのみ、道徳的な力を得ることができるのです。」
と言っています。
つまり、今のあなたが経験している苦しみの中でも、一つ一つの選択が、あなたの心を作っているのです。
だから、
「まだ結果が出ていない」
だけを見ないでください。
「私は、以前より少しでも強くなっただろうか」
「以前より少しでも優しくなっただろうか」
「以前より少しでも正直になっただろうか」
と、自分の内側にも目を向けてみてください。
そこには、あなたがこれまで積み重ねてきたものがあります。
今日も「正しいこと」を一つ選べばいい
人生全体を考えると、あまりにも大きく感じることがあります。
「一生、正しく生きなければならない」
そう考えると、疲れてしまいます。
でも、そんなに遠くまで考えなくてもいいのです。
今日一日だけでいい。
今日、誰かに優しくする。
今日、うそをつかない。
今日、怒りに任せて言葉を出さない。
今日、自分の間違いを一つ認める。
今日、目の前にある務めをきちんと行う。
今日、困っている人にできる小さな親切をする。
それで十分なのです。
人生は、一日一日の積み重ねです。
そして、人格も、一つ一つの思いと行動の積み重ねによって作られます。
だから、今日の小さな選択を大切にする。
それが、長い人生の中で大きな力になっていきます。
アレンが言う「闘い」とは、もしかすると、この小さな選択の連続なのかもしれません。
誰かに勝つ必要はありません。
人より上に行く必要もありません。
昨日の自分より、ほんの少しだけ善くなる。
その歩みを続けていけばいいのです。
まとめ
「正しく生きているのに、なぜ報われないのか」
そう悩むことは、とても苦しいことです。
正直に生きているのに損をする。
親切にしても感謝されない。
一生懸命に努力しても、結果が出ない。
そんなときには、誰だって「もういいや」と思いたくなります。
けれども、ジェームズ・アレンは、そこに別の見方を示してくれています。
「道徳心を備えた人は必ず勝利します。
しかし、そこには極限までその人を試す試練が待ち受けています。
闘わずして勝利はないのです。
闘いによってのみ、道徳的な力を得ることができるのです。
試練を通して力を証明することは、普遍の原理の一つなのです。
道徳はあらゆる成功の命です。」
この言葉を、ただ、
「正しい人は最後にはお金持ちになります」
という意味で受け取る必要はありません。
もっと深いところにあるのだと思います。
人生の本当の勝利とは、試練の中でも、自分の中にある善を失わないこと。
そして、
試練を通して、その善を本当の力に変えていくこと。
それが、人生の成功なのではないでしょうか。
仏教で語られる生・老・病・死も、私たちが避けることのできない人生の条件です。
そのすべてを思い通りに変えることはできません。
けれども、その中でどんな心を育てるのかは、自分で選んでいくことができます。
怒りに負けるのか。
穏やかさを選ぶのか。
欲に負けるのか。
節度を選ぶのか。
自分だけを考えるのか。
人への思いやりを選ぶのか。
その一つ一つが、あなたという人間を作っていきます。
だから、今まだ結果が出ていなくても、
「自分の人生は失敗だ」
と決めないでください。
あなたが正しく生きようとしていること。
苦しい中でも、人を傷つけないようにしていること。
何度倒れても、もう一度立ち上がろうとしていること。
それ自体が、あなたの中にある善性を育てています。
そして、その力は、目に見える成功よりも大切なものかもしれません。
人生の最後に残る大切な問いは、
「私は、どれだけお金を持ったか」
「どれだけ人から認められたか」
だけではないでしょう。
むしろ、
「私は、この人生を通して、どんな人間になったのか」
という問いなのではないでしょうか。
正しく生きているのに、まだ報われない。
そんなときこそ、思い出してください。
試練は、あなたの人生が失敗している証拠ではありません。
あなたの中にある力が、試されている時間なのかもしれません。
今日も、正しいことを一つ選びましょう。
小さなことでいいのです。
その小さな選択が、あなたの心を育てます。
そして、いつの日か振り返ったとき、
「あの苦しい時間があったから、私は少し強くなれた。
あの試練があったから、人の痛みが分かるようになった。
あの苦しみの中でも正しく生きようとしたことが、今の自分を作ってくれた」
と思える日が来るかもしれません。
人生の本当の勝利とは、人生から苦しみをなくすことではない。
苦しみの中でも善を選び続け、その善を自分自身の力として育てていくこと。
その歩みこそが、あなたの人生を、静かに、確かな成功へと導いていくのだと思います。