「毎日、一生懸命やっているのに、なかなか結果が出ない」
「これだけ努力しているのだから、そろそろ報われてもいいはずなのに……」
そんなふうに感じたことはありませんか?
勉強を続けているのに、思ったように成績が上がらない。
仕事を頑張っているのに、なかなか認めてもらえない。
人にやさしくしているのに、人間関係がうまくいかない。
自分を変えようとしているのに、同じ失敗を繰り返してしまう。
そんなとき、私たちは「もっと頑張らなければいけない」と考えます。
そして、さらに自分を追い立てます。
「もっと努力しよう」
「もっと我慢しよう」
「もっと頑張れば、きっと結果が出る」
そうやって一生懸命に生きているのに、結果がなかなか出ないと、今度は、
「自分の努力が足りないのだろうか」
「自分には才能がないのだろうか」
「努力しても意味がないのではないか」
と、自分を責めるようになります。
でも、ここで一度、努力というものを別の角度から見てみましょう。
努力とは、本当に「汗水たらして頑張ること」だけなのでしょうか?
ジェームズ・アレンは、次のような言葉を残しています。
「信じる力によって、すべてのつらい仕事は達成することができます。
いかなる状況においても、内なる強い意志にしたがい、神聖なる自己につねにしたがい、内なる光と声に目と耳を向け、恐れのない安らかな心で目標を追い求めてください。
あなたのすべての思いと努力は必ず報われると信じてください。
宇宙の法則は決して間違うことがなく、あなたの意志は数学的な正確さをもって、必ず自分のもとに戻ってくるということを理解してください。
これが、信じる者の生き方なのです。」
この言葉を読むと、「信じること」と「努力すること」が別々のものではないことが分かります。
信じるからこそ、努力を続けられる。
そして、努力とは、結果を無理やり自分のところへ引き寄せることではありません。
結果が生まれる原因を、静かにつくり続けることです。
この記事では、この考え方について、できるだけやさしい言葉で考えてみたいと思います。
努力とは「結果をつかむこと」ではなく「原因をつくること」
私たちは「努力」と聞くと、何かを一生懸命にやる姿を思い浮かべます。
朝早く起きて勉強する。
夜遅くまで仕事をする。
何度も練習する。
苦しくても我慢する。
もちろん、これらも努力です。
しかし、努力の本当の意味を「原因と結果の法則」という視点から考えると、少し違った姿が見えてきます。
それは、
努力とは、結果を直接つかむことではなく、結果が生まれる原因をつくることだ
ということです。
たとえば、野菜を育てるとします。
「早くトマトを食べたい!」
と思って、トマトを引っぱったとしても、大きくはなりません。
必要なのは、種をまくことです。
水をやることです。
太陽の光を当てることです。
必要なお世話を続けることです。
そうしているうちに、少しずつ成長して、やがて実がなります。
人間の努力も、これと似ています。
勉強したからといって、その場ですぐに賢くなるわけではありません。
練習したからといって、次の日に完璧になるわけでもありません。
人に親切にしたからといって、その日に必ず親切にしてもらえるとも限りません。
でも、原因はなくなっていません。
勉強したことは、自分の中に残っています。
練習したことは、少しずつ力になっています。
親切にしたことは、自分の心を少しずつ育てています。
つまり、
結果がまだ見えていないことと、原因が積み重なっていないことは、同じではないのです。
ここを理解すると、「結果が出ない」ということへの見方が変わります。
「何も起きていない」
のではなく、
「まだ結果として見えるところまで来ていない」
だけかもしれません。
だから、あせらなくてもいいのです。
今日できることを一つやる。
明日も一つやる。
その次の日も一つやる。
それが、原因をつくるということです。
努力できる人は「結果」よりも「法則」を信じている
では、なぜ人は努力を続けることができるのでしょうか?
私は、そこには「信じる力」があると思います。
ただし、ここでいう「信じる」とは、
「絶対に自分の思った結果になる」
と信じることではありません。
もっと深い意味があります。
それは、
「正しい原因をつくれば、それにふさわしい結果につながっていく」
という法則を信じることです。
たとえば、毎日少しずつ本を読む人がいるとします。
一日読んだだけでは、大きな変化はないかもしれません。
一週間でも、自分ではあまり変わったように感じないかもしれません。
でも、一年、二年と続けていけば、知っていることは確実に増えていきます。
その人は、
「今日、本を読んだら、明日の朝にはものすごく賢くなっている!」
と思っているわけではありません。
そうではなく、
「読めば少しずつ身につく」
と知っているから続けられるのです。
つまり、努力できる人とは、単に意志が強い人ではありません。
「原因と結果の法則を、素直に受け入れている人」
とも言えるのです。
「勉強すれば、勉強した分だけ自分の中に残る」
「練習すれば、練習した分だけ力になる」
「良い思いを持ち、良い行いを重ねれば、自分の人格も少しずつ変わっていく」
そのことを信じている。
だから、結果がまだ見えなくても続けられます。
反対に、「すぐに結果が出なければ意味がない」と思っていると、努力はつらくなります。
「こんなにやっているのに、なぜ?」
「まだ結果が出ない」
「もうやめようかな」
と、心が何度も揺れてしまうからです。
ここで大切なのは、
結果を信じることより、法則を信じること
です。
「きっと自分の思いどおりになる」と信じるのではありません。
「正しい原因をつくり続ければ、その原因は決して無駄にはならない」と信じる。
この信頼があるからこそ、静かに努力を続けることができるのです。
「静かな努力」は、自分を追い立てる努力ではない
ここで、「努力」という言葉について、もう一度考えてみましょう。
努力というと、
「歯を食いしばって頑張る」
「汗水たらして働く」
「限界まで自分を追い込む」
という「動」のイメージがあります。
もちろん、そうした努力が必要な場面もあります。
しかし、原因と結果の法則を信じるという考え方から見ると、努力にはもう一つの姿があります。
それが、
「静かな努力」
です。
静かな努力とは、何もしないことではありません。
怠けることでもありません。
むしろ、毎日きちんと行動します。
ただし、心の中が違います。
「何としてでも結果を出してやる!」
「これだけ頑張ったのだから、絶対に報われなければならない!」
という力みがありません。
ただ、
「今日、自分にできることをやろう」
と考える。
そして、淡々と行動する。
勉強する。
仕事をする。
練習する。
人に親切にする。
間違えたら謝る。
悪い習慣を一つずつ直す。
怒りそうになったら、一度立ち止まる。
そうした小さな行いを、一日ずつ積み重ねていくのです。
これは、外から見ると、とても地味です。
誰かにほめてもらえるとは限りません。
「すごい努力をしているね」と言われないかもしれません。
それでも続ける。
なぜなら、
「今つくっている原因は、やがて結果につながる」
と信じているからです。
ここに、静かな強さがあります。
本当に法則を信じている人は、結果を無理やり引き寄せようとはしません。
自分ができることに心を向けます。
結果については、大いなる法則に委ねます。
だからこそ、落ち着いて努力することができます。
「いつ結果が出るのだろう?」
と、毎日結果を確認しなくてもいい。
「これだけやったのだから、すぐに返ってくるはずだ」
と、法則を急かす必要もない。
ただ、正しいと思う原因をつくる。
今日もつくる。
明日もつくる。
それを続ける。
この「静かな努力」こそ、信じる力によって支えられた努力なのではないでしょうか。
そして、ここには大切なことがあります。
静かな努力とは、「頑張らないこと」ではありません。
「余計な力を入れずに、やるべきことをやること」です。
結果をつかもうとして焦るのではなく、原因をつくることに集中する。
自分を責めながら努力するのではなく、今日できることを一つ行う。
そのような努力なら、長く続けることができます。
そして、長く続けられる努力は、やがて大きな力になります。
結果を大いなる法則に委ねるからこそ、今に集中できる
「結果を大いなる法則に委ねる」
この言葉を聞くと、
「では、何もしなくてもいいの?」
と思う人がいるかもしれません。
もちろん、そういう意味ではありません。
むしろ反対です。
結果を法則に委ねるからこそ、私たちは「今、自分にできること」に集中できるのです。
私たちが苦しくなるのは、結果まで自分の力で何とかしようとするからです。
たとえば、仕事を頑張っているとします。
自分にできる仕事を一生懸命やることはできます。
勉強して知識を増やすこともできます。
人に誠実に接することもできます。
しかし、
「必ず会社から認めてもらう」
「必ず相手から評価してもらう」
「必ず自分の望んだ結果になる」
というところまで、自分で決めることはできません。
結果には、自分以外の人や、社会の状況、時間など、いろいろなものが関係しているからです。
だから、
「自分ができること」と「自分では決められないこと」を分ける
ことが大切になります。
自分ができるのは、原因をつくることです。
今日、何を考えるのか。
今日、どんな言葉を使うのか。
今日、どんな行動をするのか。
今日、どんな努力をするのか。
そこは自分で選ぶことができます。
しかし、その原因がいつ、どのような形で結果になるのかまでは、自分で決められません。
だからこそ、
「原因については、自分の責任として選ぶ。結果については、大いなる法則を信頼する」
という姿勢が生まれます。
これは、あきらめではありません。
逃げることでもありません。
むしろ、とても強い生き方です。
「私は、自分ができることをやります。でも、結果まで自分の力で支配しようとはしません」
そういう生き方だからです。
そして、この考え方を持つと、心が少し軽くなります。
「いつ結果が出るのだろう」
「本当にうまくいくのだろう」
と、結果ばかりを見ていた心が、
「では、今日できる原因は何だろう?」
と、今に戻ってくるからです。
自我を小さくすると、努力は「静かな力」に変わる
努力が苦しくなる理由の一つに、「自我」があります。
ここでいう自我とは、
「自分がこうしたい」
「自分はこれだけ頑張った」
「だから、こういう結果がほしい」
という、自分の思いを強く握りしめる心のことです。
もちろん、自分の願いを持つことは悪いことではありません。
目標を持つことも大切です。
夢を持つことも大切です。
しかし、その願いが強くなりすぎると、
「絶対にこうならなければならない」
という思いに変わってしまいます。
すると、現実が自分の思いどおりにならないたびに、苦しくなります。
「なぜ、こうならないの?」
「こんなに努力したのに!」
「自分はこれだけ頑張ったのだから、報われるべきだ!」
と考えてしまいます。
これは、「努力」と「結果」を一つにしてしまっている状態です。
しかし、本当は分けることができます。
努力は自分の仕事。
結果は法則の仕事。
このように考えてみるのです。
すると、
「これだけ努力したのだから、すぐに結果を出してほしい」
という思いが少しずつ弱くなります。
そして、
「今日も正しい原因をつくろう」
という気持ちに変わっていきます。
これが、「自我を小さくする」ということではないでしょうか。
自分を消すのではありません。
自分の意志をなくすのでもありません。
むしろ、自分の意志を正しい方向へ使うのです。
「結果を自分の思いどおりにしよう」
というために意志を使うのではなく、
「正しい原因をつくり続けよう」
というために意志を使う。
すると、努力はとても静かなものになります。
誰かと競争する必要もありません。
昨日の自分より少し良くなればいい。
今日できることを、今日やればいい。
失敗したら、そこから学べばいい。
そして、また続ければいい。
こうした生き方には、余計な力がありません。
けれども、弱くもありません。
むしろ、長い時間をかけて続けられる、とても強い力です。
「内なる光と声」に耳を向ける
アレンは、冒頭の言葉の中で、
「内なる光と声に目と耳を向け」
と言っています。
これは、「自分の好きなことだけをしなさい」という意味ではないでしょう。
私たちの心には、いろいろな声があります。
「楽をしたい」
「怒ってやり返したい」
「失敗したくない」
「人に認めてもらいたい」
「自分だけ得をしたい」
という声もあります。
一方で、
「正直に話そう」
「間違いを認めよう」
「もう一度やってみよう」
「人に親切にしよう」
「怒りに任せて言葉を出すのはやめよう」
という静かな声もあります。
アレンがいう「内なる光と声」とは、こうした心の奥にある、善い方向へ導いてくれる静かな声だと考えられます。
この声は、いつも大きく聞こえるわけではありません。
むしろ、欲や恐れが大きくなると、聞こえにくくなります。
だからこそ、心を静かにする必要があります。
結果への不安で頭がいっぱいになっていると、
「早く結果を出さなければ!」
という声ばかりが大きくなります。
しかし、少し心を静かにすると、
「今、自分ができることをやろう」
という声が聞こえてきます。
「結果を心配するより、原因をつくろう」
という声が聞こえてきます。
「誰かを責めるより、自分にできることを考えよう」
という声が聞こえてきます。
それが、「内なる光」なのかもしれません。
だから、努力とは、ただ外側で行動することだけではありません。
「どのような思いを持って行動するのか」
も、とても大切なのです。
同じ勉強でも、
「負けたくない!」
という思いだけでやるのと、
「少しでも成長しよう」
という思いでやるのでは、心の状態が違います。
同じ仕事でも、
「認めてもらいたい」
という思いだけでやるのと、
「自分の務めをきちんと果たそう」
という思いでやるのでは、意味が違います。
だからアレンは、「思い」と「努力」を一緒に語っているのです。
正しい思いが、正しい行いを生みます。
正しい行いが、少しずつ人格をつくります。
そして、人格が変われば、人生のあり方も変わっていきます。
結果が出る前に、あなた自身が変わっている
「努力しているのに結果が出ない」
と感じるとき、私たちは外側ばかりを見ています。
お金が増えたか。
仕事で評価されたか。
成績が上がったか。
人間関係が良くなったか。
目標を達成できたか。
もちろん、こうした結果を見ることも大切です。
しかし、それだけではありません。
努力には、もう一つの大きな結果があります。
それは、
「努力している自分自身が変わっている」
ということです。
毎日、本を読めば、知識が増えます。
毎日、練習すれば、技術が身につきます。
毎日、正直であろうとすれば、誠実な人になっていきます。
怒りを抑える練習をすれば、少しずつ穏やかな人になっていきます。
人に親切にすれば、少しずつ思いやりのある人になっていきます。
これは、とても大切なことです。
外側の結果がまだ出ていなくても、内側ではすでに変化が始まっています。
だから、
「まだ結果が出ていない」=「何も変わっていない」
ではありません。
見えないところで、原因が積み重なっているのです。
そして、その積み重ねは、あなた自身を変えていきます。
だから、努力は決して無駄ではありません。
アレンが、
「あなたのすべての思いと努力は必ず報われると信じてください。」
と言っているのも、このような意味から考えることができるでしょう。
努力したからといって、いつでも自分の望んだ形で結果が出るとは限りません。
しかし、正しい思いと正しい行いは、必ず自分の中に何かを残します。
そして、その人自身が変わっていけば、やがて人生に現れる結果も変わっていきます。
まとめ~「今日も一つ、正しい原因をつくろう」
もし今、
「こんなに頑張っているのに、どうして結果が出ないのだろう」
と悩んでいるなら、どうか自分を責めすぎないでください。
もしかすると、あなたに足りないのは「努力の量」ではないのかもしれません。
もしかすると、
「結果を何とかしようとする努力」から、「正しい原因をつくる努力」へ変える時期なのかもしれません。
努力とは、結果を無理やり引き寄せる行為ではありません。
結果が生まれる原因を、静かにつくり続ける行為です。
そして、努力できる人は、単に意志が強い人なのではありません。
「正しい原因を積み重ねれば、それにふさわしい結果につながっていく」という法則を信じている人なのです。
だから、結果がまだ出なくても続けることができます。
「いつ報われるのだろう?」
と焦るのではなく、
「今日、何を積み重ねよう?」
と考えることができます。
結果は、大いなる法則に委ねる。
原因は、自分の意志で選ぶ。
この二つを分けるのです。
そうすれば、努力は「自分を追い立てる苦しいもの」から、「静かに自分を育てるもの」へと変わっていきます。
そして、ここでいう「静か」とは、何もしないことではありません。
やるべきことを、余計な恐れや焦りを持たずに続けることです。
今日、正しい思いを一つ選ぶ。
今日、正しい行いを一つする。
今日、昨日より少しだけ良い自分を目指す。
そして、明日もまた続ける。
それでいいのです。
すぐに結果が見えなくてもいい。
誰かに認めてもらえなくてもいい。
「これで本当に大丈夫なのだろうか」と不安になる日があってもいい。
それでも、
「正しい原因をつくり続けよう」
と、自分を正しい方向へ戻していく。
そこに「信じる力」があります。
信じるとは、自分の願いが必ずそのまま叶うと信じることではありません。
大いなる法則を信じ、その法則にかなう生き方を、自分の意志で選び続けることです。
だから、もう結果だけを見て、自分を評価しなくてもいいのです。
あなたが今日、どんな思いを選んだのか。
どんな行いをしたのか。
どんな小さな努力を積み重ねたのか。
そこを大切にしてください。
種をまいたら、すぐに芽が出るとは限りません。
けれど、土の中では何かが始まっています。
同じように、あなたが正しい思いと行いを積み重ねているなら、目には見えないところで、あなた自身が変わり始めています。
だから、あせらなくてもいい。
自分を責めなくてもいい。
結果をつかもうとして、心を苦しめなくてもいい。
今日も一つ、正しい原因をつくりましょう。
そして、明日も一つ。
その小さな積み重ねを、静かに続けていきましょう。
大いなる法則を信じて。
自分の中にある善なるものを信じて。
そして、
「自分の思いと努力は決して無駄にはならない」
と信じて。
それが、ジェームズ・アレンのいう、
「信じる者の生き方」
なのではないでしょうか。