「一生懸命に祈っているのに、なぜ人生は変わらないのだろう」
そんな疑問を持ったことはありませんか。
「幸せになりたい」
「お金に困らない生活をしたい」
「人間関係をよくしたい」
「心穏やかに生きたい」
「もう一度、人生をやり直したい」
そう願って、祈っている。
それなのに、現実はなかなか変わらない。
そんなとき、人は「自分の祈りが足りないのだろうか」「神様に見放されたのだろうか」と考えてしまうかもしれません。
しかし、ジェームズ・アレンの次の言葉を読むと、少し違った人生の見方が見えてきます。
「私たちの行く末を握る神は、私たち自身のなかにいるのです。
それは、私たち自身の思いです。
人は、手に入れたいと願ったり祈ったりするものを得るのではなく、公正に受け取るべきものを得るのです。」
そして、さらにこう語っています。
「人は、環境改善のための努力は惜しみませんが、自分自身を改善することにはとても消極的です。
環境に翻弄されるがままにいる理由は、まさしくここにあります。
自身を改善するためには、自己犠牲が必要なのです。」
この言葉は、一見すると厳しいものです。
「欲しいものを祈れば与えられる」とは言っていないからです。
けれど、よく考えてみると、ここには大きな希望があります。
それは、
「望む結果があるのなら、その結果につながる原因を、自分自身の中につくっていけばいい」
という希望です。
勉強なら、良い成績を望むだけではなく勉強する。
スポーツなら、勝ちたいと願うだけではなく練習する。
それと同じように、人生全体にも原因と結果の流れがあるのではないか。
人間関係、富、仕事、心の安定、幸福。
こうしたものについても、望む結果につながる思いや行動を少しずつ積み重ねていく。
そのためには、自分自身を変えていく必要があります。
この記事では、「祈りが無意味だ」という話をするのではありません。
祈りや願いを大切にしながら、願いを現実へ近づけるために、
自分自身ができることは何かを考えていきたいと思います。
「欲しい」と願うだけではなく、望む結果の原因を考えてみる
私たちは、結果を先に欲しがります。
「お金が欲しい」
「成功したい」
「幸せになりたい」
「人から愛されたい」
「心穏やかになりたい」
これは自然なことです。
誰だって、苦しい状態から抜け出したいと思います。
けれど、ジェームズ・アレンは、
「人は、手に入れたいと願ったり祈ったりするものを得るのではなく、公正に受け取るべきものを得るのです。」
と言っています。
ここで一度、立ち止まって考えてみましょう。
たとえば、テストで良い点を取りたいとします。
「100点を取りたい」と願う。
「100点を取れますように」と祈る。
しかし、それだけで100点になるわけではありません。
教科書を読む。
問題を解く。
間違えたところをやり直す。
分からないところを質問する。
こうした原因を積み重ねていくことで、少しずつ100点に近づいていきます。
スポーツも同じです。
「試合に勝ちたい」と願うだけではなく、
走る。
筋力をつける。
技術を練習する。
失敗を振り返る。
何度も練習する。
そうした原因の積み重ねによって、勝つ力が育っていきます。
人生も、これと同じように考えられるのではないでしょうか。
「人から信頼されたい」と願うなら、誠実さを育てる。
「心穏やかに生きたい」と願うなら、怒りや不安に振り回されない心を育てる。
「豊かになりたい」と願うなら、人の役に立つ知識や能力を育てる。
「幸せになりたい」と願うなら、幸せを生み出す思いや行動を育てる。
つまり、
「何が欲しいか」だけではなく、「それを生み出す原因は何か?」
と考えてみるのです。
ここから、人生の見方が変わってきます。
「ふさわしい自分になる」とは、自分を責めることではない
「望む結果にふさわしい自分になる」と聞くと、少し厳しく感じるかもしれません。
「今の自分は、幸せになる資格がないということ?」
「お金がないのは、自分に価値がないから?」
「人生がうまくいかないのは、自分の努力が足りないから?」
そんなふうに考えて、自分を責めてしまう必要はありません。
ここは、とても大切なところです。
ジェームズ・アレンのいう自己改善は、自分を痛めつけることではないと思います。
むしろ、
「今の自分には、どんな原因をつくる力があるだろう?」
と自分を育てていくことです。
たとえば、人から信頼されたいと思ったとします。
そのためには、約束を守ること。
うそをつかないこと。
人の話を聞くこと。
自分の間違いを認めること。
こうしたことが原因になります。
その原因を一つずつ育てていく。
すると、「信頼されたい」と願っているだけだった自分から、
少しずつ「信頼される人」へ近づいていきます。
「心穏やかになりたい」という願いも同じです。
怒ったときに、すぐ言い返さない。
不安になったときに、すぐ最悪の未来を決めつけない。
嫌なことがあったときに、何度も相手を責め続けない。
自分の心を観察する。
そうした小さな練習を続けることで、心のあり方が変わっていきます。
これは、自分を否定することではありません。
自分を育てることです。
「今の自分はダメだ」と言うのではなく、
「ここから、もっとよい自分を育てていこう」
と考える。
この違いは、とても大きいのです。
自己改善には「自己犠牲」が必要~今の欲求を少し手放す
では、なぜアレンは、
「自身を改善するためには、自己犠牲が必要なのです。」
と言うのでしょうか。
ここでいう自己犠牲は、自分の人生を捨てることではありません。
「今すぐ満たしたい自分の欲求を少し手放して、もっと大切なものを選ぶこと」
と考えると分かりやすいでしょう。
たとえば、痩せたい人が間食を我慢する。
これは分かりやすい自己犠牲です。
「今、お菓子を食べたい」という気持ちを少し手放して、
「健康な体」という、もっと大切なものを選んでいます。
勉強なら、
「遊びたいけれど、今日は30分勉強する」
となります。
スポーツなら、
「休みたいけれど、決めた練習をする」
となります。
人間関係なら、
「言い返したいけれど、一度落ち着く」
となります。
仕事なら、
「楽なほうへ逃げたいけれど、必要なことを一つ終わらせる」
となります。
精神的な成長なら、
「自分は悪くないと思いたいけれど、自分にも改善できるところがないか考えてみる」
となります。
このように考えると、自己犠牲とは、
「自分を苦しめること」ではなく、「目先の欲求よりも、将来の自分にとって大切なものを選ぶこと」
だと分かります。
最初は我慢に感じるかもしれません。
しかし、その選択を何度も繰り返していると、少しずつ自分自身が変わってきます。
「怒りを我慢する人」から「怒りを扱える人」へ。
「怠けたい自分に負ける人」から「自分で決めたことを続けられる人」へ。
「人に認められたい人」から「人の評価に振り回されない人」へ。
つまり、
自己犠牲によって自己改善が起こり、自己改善によって、望む結果につながる原因をつくれる自分になっていく。
ここに、アレンの言葉の大きな意味があるのではないでしょうか。
望む結果につながる原因を見抜くには「洞察力」が必要
ここまで読んで、
「原因をつくることが大切なのは分かった。でも、どんな原因をつくればいいのか分からない」
と思う人もいるかもしれません。
これは、とても大切な問題です。
たとえば、勉強なら分かりやすいでしょう。
テストでよい点を取りたい。
そのためには、勉強する必要があります。
でも、
「勉強すればいい」
だけでは十分ではありません。
どこを勉強するのか。
どんな方法で勉強するのか。
自分は何が分かっていないのか。
どのくらい続ければよいのか。
こうしたことを考える必要があります。
スポーツでも同じです。
試合に勝ちたいからといって、ただ長時間練習すればいいとは限りません。
フォームに問題があるのかもしれません。
体の使い方に問題があるのかもしれません。
練習方法が合っていないのかもしれません。
つまり、
結果を変えるためには、結果だけを見るのではなく、その結果を生み出している原因を見る必要があるのです。
ここで大切になるのが「洞察力」です。
洞察力とは、難しい知識をたくさん持っていることではありません。
目の前で起きていることをよく見て、
「なぜ、こうなったのだろう?」
「その前には何があったのだろう?」
「本当の原因は何だろう?」
と考える力です。
私たちは、ときどき答えを急ぎます。
「きっとあの人が悪い」
「自分には運がない」
「もう年だから無理だ」
「どうせ人生は変わらない」
そんなふうに、すぐに結論を出してしまいます。
けれど、それは本当の原因とは限りません。
私自身も、これまで物事を急いで考えていたのかもしれません。
すぐに答えを決めようとする。
仮説を立てて確かめることをしない。
静かに自分を観察しない。
目の前の結果だけを見る。
そして、自分に都合のいい解釈をしてしまう。
そういうことがあったのだと気づくことがあります。
しかし、ここで自分を責める必要はありません。
大切なのは、
「自分には、そういう傾向があったんだな」
と気づくことです。
そして、
「これからは、もう少しゆっくり見てみよう」
と思えばいいのです。
これは、とても大きな変化です。
反省より観察。
自己批判より自己理解。
決めつけより仮説。
目先の結果より、長い因果の流れ。
このような姿勢を持つことで、少しずつ洞察力が育っていきます。
たとえば、人間関係がうまくいかないとします。
「相手が悪い」
と決める前に、
「私は相手にどんな言葉を使っているだろう?」
「相手の話を最後まで聞いているだろうか?」
「自分の正しさを押しつけていないだろうか?」
「以前にも同じようなことが起きていなかっただろうか?」
と見てみる。
すると、今まで見えなかった原因が見えてくることがあります。
お金についても同じです。
「なぜお金が足りないのだろう?」
と考えるとき、
「世の中が悪い」
「自分は運が悪い」
だけで終わらせるのではなく、
「自分にはどんな知識や技術があるだろう?」
「人にどんな価値を届けられるだろう?」
「お金の使い方にどんな習慣があるだろう?」
と観察してみる。
すると、「これから育てるべき原因」が見えてくるかもしれません。
ここで、すぐに答えが出なくても大丈夫です。
「分からないままにしておく」ことも、洞察の一つです。
分からないのに、無理やり答えを決めない。
もう少し観察する。
もう少し学ぶ。
もう少し経験する。
そうしているうちに、見えてくるものがあります。
洞察力とは、何でもすぐに見抜く力ではありません。
むしろ、
真実が見えてくるまで待つことのできる心の強さ
なのかもしれません。
そして、この力は何歳からでも育てることができます。
これもまた、生涯現役で自己教育を続けるということではないでしょうか。
祈りを現実につなげる~結果ではなく「今日の原因」に集中する
では、「祈っているのに人生が変わらない」と感じている人は、どうすればいいのでしょうか。
ここで、ジェームズ・アレンの言葉をもう一度思い出してみましょう。
「私たちの行く末を握る神は、私たち自身のなかにいるのです。
それは、私たち自身の思いです。
人は、手に入れたいと願ったり祈ったりするものを得るのではなく、公正に受け取るべきものを得るのです。」
この言葉は、祈ることを否定しているのではないと思います。
むしろ、
「あなたが本当に望んでいるものは何ですか?」
と、私たちに問いかけているように感じます。
「幸せになりたい」
「愛されたい」
「人間関係をよくしたい」
「豊かになりたい」
「心穏やかに生きたい」
「自分らしく生きたい」
そう願うことは悪いことではありません。
大切なのは、その願いを持ったあとです。
その願いを実現するために、自分はどんな原因をつくっているだろうか。
ここに目を向けるのです。
たとえば、
「信頼されたい」
と思うなら、信頼される原因をつくる。
約束を守る。
嘘をつかない。
相手の話を聞く。
困っている人を助ける。
小さなことでも誠実に行う。
「豊かになりたい」
と思うなら、豊かさにつながる原因をつくる。
自分の知識や技術を育てる。
人に役立つ仕事をする。
学び続ける。
お金を大切に扱う。
「心穏やかに生きたい」
と思うなら、心の平和につながる原因をつくる。
怒りのままに言葉を出さない。
人を憎み続けない。
自分の思い込みを観察する。
必要以上に人と比べない。
今日できる小さなことから心を整えていく。
もちろん、人生には自分では変えられない出来事もあります。
他人の行動や社会の状況など、自分の力だけでは決められないこともあります。
ですから、
「今の結果は全部、自分が悪い」
と考える必要はありません。
そうではなく、
「今ここから、自分にはどんな原因を選べるだろう?」
と考えるのです。
これは、自分を責める考え方ではありません。
自分の人生に残されている選択肢を見つける考え方です。
ここに希望があります。
今すぐ結果を変えられなくても、
今日の思いは選べる。
今日の言葉は選べる。
今日の行動は選べる。
今日の習慣は少し変えられる。
今日、誰かに親切にすることもできる。
今日、ひとつ学ぶこともできる。
今日、怒りに任せて言葉を出す代わりに、少し黙ることもできる。
今日、「もう少し見てみよう」と立ち止まることもできる。
小さな選択に見えるかもしれません。
しかし、それが原因になります。
そして原因は、すぐには結果にならなくても、時間をかけて人生を形づくっていきます。
思考は目に見えない原因であり、行動や人生の状態は、その原因が時間をかけて形になったもの
と考えることができます。
だからこそ、焦る必要はありません。
昨日までの人生を一日で変える必要もありません。
今日から違う原因を少しずつ積み重ねればいいのです。
ジェームズ・アレンは、もう一つ大切なことを語っています。
「人は、環境改善のための努力は惜しみませんが、自分自身を改善することにはとても消極的です。
環境に翻弄されるがままにいる理由は、まさしくここにあります。
自身を改善するためには、自己犠牲が必要なのです。」
ここでいう「自己犠牲」は、自分を痛めつけることではありません。
自分の人生をよくするために、目先の欲求を少し手放すことです。
遊びたいけれど、今日は勉強する。
怒りたいけれど、少し黙って相手の話を聞く。
楽をしたいけれど、必要な努力をする。
すぐ結果が欲しいけれど、結果が出るまで原因を積み重ねる。
自分が正しいと思っていても、一度相手の立場から考えてみる。
こうした小さな自己犠牲が、自分自身を育てていきます。
そして、自分自身が変わると、選ぶものも変わってきます。
選ぶものが変われば、行動が変わります。
行動が変われば、習慣が変わります。
習慣が変われば、少しずつ人間関係や仕事への向き合い方なども変わっていきます。
つまり、
自分の思考や心の状態が、選択・行動・習慣・人間関係などを通して、少しずつ外側の人生を形づくっていく
のです。
だから、「祈っているのに何も変わらない」と思ったときは、
「祈りが無駄だった」
と決めつけるのではなく、
「この祈りが、私にどんな生き方を求めているのだろう?」
と考えてみるのもよいでしょう。
祈りによって「こうなりたい」という方向が見えたなら、次は、その方向につながる原因を一つ選んでみる。
そして今日、その一つを実行してみる。
それを繰り返していく。
それが、祈りを現実の人生につないでいく一つの道なのではないでしょうか。
まとめ 「欲しいものをください」から「それを生み出す原因を育てます」へ
ジェームズ・アレンの言葉は、とても厳しく感じるところがあります。
「願ったから、祈ったから、そのまま欲しいものが与えられるわけではない」
という考え方だからです。
しかし、その厳しさの中には、大きな希望があります。
なぜなら、
自分がこれからつくる原因は、自分で選ぶことができる
からです。
「自分の人生はもう決まってしまった」
と思っている人にも、
「もう何をしても無駄だ」
と思っている人にも、
まだできることがあります。
それは、自分自身を少しずつ育てていくことです。
結果をすぐに変えられなくても、
思いを変える。
見方を変える。
行動を一つ変える。
習慣を一つ変える。
そして、望む結果につながる原因を積み重ねる。
そのためには洞察力が必要です。
すぐに答えを決めず、
「本当の原因は何だろう?」
と静かに観察する。
「自分に都合のいい答えではなく、本当のことを知りたい」
と思う。
分からなければ、すぐに決めつけず、もう少し見てみる。
そうしているうちに、自分の人生の因果の流れが少しずつ見えてきます。
そして、
結果を追いかける人生から、原因をつくる人生へと、人生の向きが変わっていきます。
「幸せになりたい」
なら、幸せにつながる原因を育てる。
「愛されたい」
なら、愛を与えられる自分を育てる。
「信頼されたい」
なら、誠実さを育てる。
「心穏やかに生きたい」
なら、穏やかさにつながる思考や行動を育てる。
「豊かになりたい」
なら、人に価値を届けられる力を育てる。
これは、
「あなたには、まだ成長できる力がある」
というメッセージでもあります。
何歳になっても遅すぎることはありません。
今日、「正しく生きよう」と思うことができる。
今日、「本当の原因を知りたい」と思うことができる。
今日、「もう少し自分を観察してみよう」と思うことができる。
今日、望む未来につながる小さな原因を一つつくることができる。
正しく生きようと思うことそのものが、生涯にわたる自己教育の始まりです。
だから、もし今、
「祈っているのに、人生が変わらない」
と苦しんでいるなら、焦らなくてもいいのです。
祈りを捨てる必要もありません。
願いを捨てる必要もありません。
ただ、願いを一度、静かに見つめてみましょう。
「私は、本当は何を望んでいるのだろう?」
そして、
「その結果につながる原因は何だろう?」
と問いかけてみましょう。
答えがすぐに分からなくても大丈夫です。
「分からない。だから、もう少し見てみよう」
でいいのです。
そして今日、
「欲しいものをください」から、「それを生み出す原因を、私は少しずつ育てていきます」へ。
この小さな方向転換をしてみる。
それだけでも、人生との向き合い方は変わり始めます。
結果を急がず、原因を育てる。
自分を責めず、自分を観察する。
決めつけず、学び続ける。
そして、望む人生にふさわしい自分を、今日から少しずつ育てていく。
その歩みは、何歳からでも始められます。
あなたの人生は、過去の結果だけで決まるものではありません。
これからどんな思いを持ち、どんな原因を選び、どんな自分を育てていくのか。
そこには、今この瞬間から選べるものが残されています。
だから、焦らなくていい。
まず、今日の一歩を選びましょう。
その一歩が、まだ見えていない未来へつながる、新しい原因になるのです。