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ジェームズ・アレンに学ぶ!競争の中にあって競争意識を手放す幸せな成功者

ジェームズ・アレンは語ります。

 

競争は、不足しているから起こるのではありません。
豊富な中で起こるのです。
豊かで贅沢になればなるほど、自分の豊かさと贅沢な生活を守るために、競争意識は激しくなります。

 

生涯現役で幸せな成功を手にしようとする人にとって、現代の競争社会に対する洞察が必要になってきます。つまりが、競争とは何か、競争は必要か、競争は何をもたらすのか、です。

ジェームズ・アレンの言葉を繙(ひもと)きながら、競争に関して書き綴らせて頂きます。

 

ジェームズ・アレンの主張~競争は豊かさの中でこそ起こる!?

 

ジェームズ・アレンの著書の中で、極めて印象的なエピソードが記されています。少し長くなるかもしれませんが、引用させて頂きます。

 

『私の家では、凍てつく冬の間、庭にやって来る鳥たちにエサをまいてやります。
すると、そのエサをついばみに来る鳥たちは、私に驚くべき光景を見せてくれます。
鳥たちは、本当に空腹のときには互いに寄り添い、協調するように暖を取って過ごし、仲間同士で争うことなどありません。
そんな鳥たちに、わずかなエサを与えているうちは、事件は起こりません。』

『ところが、充分過ぎるほどの食べ物を与えるとどうでしょう。
途端に、恐ろしい争いが始まります。
あるとき、一塊のパンを投げてやったことがありました。
一塊のパンは、彼らが数日の間、飢えをしのげる量のはずです。
ところが、パンの塊を投げた途端、激しい争いが起こりました。
争いの末、数羽の鳥たちだけが、ガツガツとパンをむさぼり、空腹を満たしても、パンの周りをうろついて離れようとしません。
残ったパンに近づこうとする鳥たちを、激しく攻撃するためです。』

『鳥たちが見せた争いから、激しい競争の恐ろしさが分かります。
食べ物をたくさん得ることで、鳥たちは神経を尖らせるようになります。
どんなに豊富なエサがあっても、自分が生きるために、食べ物を横取りされまいと、周囲に警戒を強めるのです。
この出来事は、自然界の生き物が見せる生存競争の一場面ですが、私たちの社会でも、同じような光景が思い浮かびませんか?』

 

私は野生に生きる動物にエサを与えることは滅多にしませんが、ジェームズ・アレンが記した光景を、まざまざと思い浮かべることが出来ました。

 

生涯現役人生に必要なのは、人生における苦悩の正体を知ること

 

人間が味わう、人生における苦悩に目を向けてみると、競争は豊かさの中で起こるという視点に納得することが多いと思えます。

例えば、若者の苦悩の原因は選択の豊富さにある、とも言われます。

進路に悩むのは、自らの将来に対する可能性の多さにこそあります。恋に迷うのは、その対象となり得る存在が多いことにあります。

選択肢の多さと、自らの願望と、他人との比較と、世間の評価がごちゃ混ぜになり、どうしたらいいか分からない、何が正解か分からない状態で、出口の見えない葛藤の中に沈み込みます。

大人もまた同様です。

本来、人が生きていくに十分な食料も衣服も住居もすでにあるのに、他人の享受しているそれらと比較して、欠乏感を募らせます。充分に愛情に満ち足りた人間関係を構築できる存在が、すでに目の前にいるというのに、他人の言動や見聞きする情報に惑わされて、目の前のかけがえのない存在とのふれあいの中にある深い喜びを見失います。

そして、弱肉強食こそ自然の摂理であるとして、同じ人間同士で競争することと、それに勝つことが、自分を満足させる唯一の道であると勘違いする人もいます。

老いも、若きも、男も女も、いつでも、苦悩の原因は他者との比較にあり、すでに多くの恵みの中に自分がいることを忘れ、競争意識だけを募らせることで、いつまでも満たされることのない欠乏感の中で生きることになってしまいます。

幸せな成功に満たされた生涯現役人生とは、終わりない欠乏感に苛(さいな)まれ続ける生き方ではなく、今、ここにある豊かさを感謝と愛情に満ちた心で味わう生き方であると考えます。

 

他者との比較や競争の役立つ側面

 

成功への意欲・モチベーションの維持や能力向上に、競争が役立つ側面があることは否めないと思うのです。これは、どんな年代の方であっても、思い当たることがあるはずです。

そうですね、例えば、同じような収入世帯の、同じような年代の顔見知りの方が、若々しいファッションをしていたり、若々しいスタイルを維持して、それが、嫌味な感じではなく、すごく似合っていて、活き活きとしていたら、やはり、自分も身だしなみや体型にも少しは気を使おうかな、と思うのが人情というものでしょう。

それが、運動や食生活の改善という具体的行動に繋がり、結果的に、生涯現役で幸せな成功を手にするためにも大切になる心身の健康促進をもたらしてくれる面があると思えるのです。

私は、90歳を過ぎた親戚の女性が、爪の手入れを欠かさずにしている、という話を耳にした時、正直に言うと感心しました。やはり、若さを保つには、それなりの努力が必要なんだな、と素直に思えたのです。

また、川沿いを散歩している時に、自分よりもはるかに年配の方が、さっそうと走っている姿などをお見受けすると、「ああ、立派だな~、自分も負けていられないな。よし、運動しよう」と、素直に思うこともあります。

人生における苦悩の正体が、選択の豊富さと他者との比較による競争意識にあるとはいえ、自分の人生を実り豊かなものにするための向上心のきっかけやモチベーションの維持には、他者との比較や競争が役立つ面はあるのです。

 

幸せな成功者の絶妙なバランス感覚~競争の中にあって、競争意識を手放す

 

私は競争のある社会を否定しません。むしろ、肯定的に捉えています。しかし、競争意識に生きることは、幸せな成功に繋がらないとはっきり言えます。

つまり、人間社会に生じる競争は、個々人の向上心を養い高め、相乗効果として、社会全体の利益、活性化を生み出す機能として存在するのであり、決して、競争意識に生きることで個々人の幸せや成功がもたらされるわけではない、ということです。

幸せな成功者は、競争意識を否定しているが、競争することは肯定する、とでもいう不思議なバランス感覚を持っている気がします。

ライバル関係にある会社の社長同士がお互いを褒め称えるエピソードなどを聞くと、「内心では、お互いに相手が潰れることを願っているんでしょ」などと昔は思っていました(笑)しかし、今では、彼らが本心でそれを語っているのだと思えます。

彼らには個人としての競争意識はありません。ただ、自社や他社の事業を通して、業界全体が活性化して、それが社会全体の公益に繋がることを明確に自覚できるからこそ、競争することから逃げません。

一方、不幸な状態にある人や、失敗の中に生き続ける人は、個人的な競争意識にのみ駆られて生きるか、競争することからただただ闇雲に逃げようとしているだけで、逃げた先の生き筋を見い出そうとしていない、と言えるのではないでしょうか。

幸せな成功者の競争社会の中にあって、競争意識は捨て去っているとでも言うべき、絶妙なバランス感覚は本当に頼もしい限りです。

 

競争と競争意識の違い

 

競争意識に生きることと競争社会に生きることには違いがあるという視点を持った時に、競争が生まれる状況に関して、洞察を深めることができます。

ジェームズ・アレンは語ります。

 

競争は、不足しているから起こるのではありません。
豊富な中で起こるのです。
豊かで贅沢になればなるほど、自分の豊かさと贅沢な生活を守るために、競争意識は激しくなります。

 

人間社会に生じる競争は、全ての人に、この世界に内在する無限の豊かさ本能的に知覚する能力と、それを引き出す能力が備わっているからこそなのかもしれません。人間だからこそ持ちうる本能を見失うことこそ、自然の摂理に反します。

この世界に内包されている富や豊かさは無限である、という真実に思い至った人こそ、自身の可能性を存分に引き出す意欲を燃やし続けることができます。なぜなら、自分を高め、豊かになることが、他の誰かに貧しさを押し付けることにはならない、どころか、自分も他人も無限の豊かさを味わえることに繋がることをはっきり自覚できているからです。

一時的な競争と勝敗は、無限に存在する豊かさが人間社会に解き放たれる時に生じる産みの痛みのようなものと捉えられるのです。

無限の豊かさを内包している世界において、ただ自分自身の豊かさと贅沢な生活を守ることのみに意識が向いた人、つまりは、この世界の豊かさを限られたものとして捉えてしまった人は、人間としての本能ではなく、ただの動物としての本能のままに生きることになるのかもしれません。そして、競争意識と終わりない欠乏感にのみ苛(さいな)まれる悲しい存在になってしまうのかもしれません。

 

競争社会にあって生涯現役で幸せな成功を手にする「原因と結果の法則」

 

ジェームズ・アレンは語ります。

 

社会の中で受ける苦しみや歓びは、社会の動きや環境のせいではないのです。
根本的な「原因」は、社会を維持する心-私たちの意識にあります。
生命の本質は、内側から外側に向かいます。

 

このジェームズ・アレンの言葉を、現在進行形で活躍する幸せな成功者の生き様として、変換してみると、「競争があることを否定はしないが、競争意識に生きることは否定する」「競争社会の中にあって、競争意識は捨て去っている」という生き様が見えてくると思えます。

幸せな成功者とは、「論語読みの論語知らず」と言われるような、脳みそがお花畑状態にある思考停止の単純な理想主義者ではありません。また、世の中の矛盾や人々が抱える痛みから目を背け、理想的な社会を作る意欲を失くし、自己の安泰のみを求め、ただ“右に倣(なら)え”という生き方、あるいは「弱肉強食が自然の摂理」という生き方をする思考停止状態の現実主義者でもありません。

幸せな成功者は、理想と現実の狭間(はざま)にある自分と世界の姿を、直感的か理性的かの違いはあるものの、「原因と結果の法則」に基づき洞察して、より良い生き方を選択できる思考力と行動力を身に付けた者です。

競争社会にあって生涯現役で幸せな成功を手にするための「原因と結果の法則」とは、まず、「競争は、不足しているから起こるのではなく、豊富な中で起こる」ということを知ることです。そして、人間が豊かさを求めるのは、この世界が内包している無限の豊かさを本能的に知覚し、掘り起こせる能力があるからです。だから、“社会の動きや環境”に競争が生まれるわけではありますが、個々人の生涯における苦しみや歓(よろこ)びの根本的な原因は競争が生まれることにあるわけではないのです。

無限の豊かさを知覚する本能と、掘り起こせる能力に対する疑念が原因となり、競争意識にのみ縛られ、終わりない欠乏感に苛まれる、野蛮な動物的衝動「弱肉強食」に生きる、人間としては幸せとも成功とも言えない人生をもたらす結果になるのです。

「競争の中にあって、競争意識を手放す」とでも言える、幸せな成功者の絶妙なバランス感覚は、彼らが、本質に目を向ければ、経済的にしろ、精神的にしろ、物心両面における実り豊かな人生と社会の実現のためには、競争する必要性がないと達観しているからこそのものである、と私には思えます。

そもそも本質的には競争する必要性がないという達観が、世界が内包する無限の豊かさに対する信頼と、自分自身にある無限の豊かさを知覚する本能と掘り起こす能力に対する信用を強めます。そして、この達観によって強められた信頼と信用が原因となり、理想と現実の狭間にあって、より良い生き方を選択する思考と行動が取れるという結果を生み出す、と言えるのではないでしょうか。

 

まとめ

 

生涯現役で幸せな成功を目指す私は、幸せな成功者の、競争の中にあって競争意識を手放す絶妙なバランス感覚を、ささやかな日常生活の中で磨いていきたいと思うのです。だからこそ、古今東西、有名無名を問わず、幸せな成功者の理想と現実の狭間に生まれる深い洞察に満ちたメッセージに耳を傾け続けていこうと考えます。

人生100年時代に立ち向かう現代日本において、一人でも多くの方が、現実を見ない極端な理想を追い求めるわけでもなく、現実に押しつぶされて理想を失うこともなく、心身共に実り豊かな幸せな成功に満ちた人生を歩まれることを強く願います。

お読みいただきありがとうございました。

引用元:
ジェームズ・アレン著「ジェームズ・アレン 人生を変える幸せの黄金法則 完全版」(2015年「ゴマブックス株式会社」発行)p.44,p.45,p.49,p.50

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