ジェームズ・アレンは語ります。
「自然のしくみ」は残酷で厳しいと言われています。
その反面、寛大な優しさに溢れているとも言われます。・・・
実際、現実の世界は、特別な誰かや何かに対して、厳しくもなければ、親切で優しいわけでもありません。
意図的に偏ることなく、単純に当然の状態を見せているだけです。
人が示す弱さは、個人的な経験・体験・知識に縛られ、それだけでもって自らの思考や行動の拠り所としがちな傾向にあります。
ジェームズ・アレンの言葉に耳を傾けながら、生涯現役で幸せな成功者として生きようとする時に必要と思われる「偏見の克服と洞察力」について述べさせて頂きます。
「無知の知」という視点
幸せな成功者にこそなる、と決意して動き始めていると、自分が生きている現実の世界に対する見方が変わってきました。
それは今まで私が見て、これが現実だと思っていた世界と本当の現実の世界には大きな隔たりがあるらしいという感覚です。
かつてギリシャにて活躍したソクラテスは「無知の知」ということを語っていたそうです。
「私は自分が真実を知らないことを知っているという一点において、智者である」ということを語ったと言われています。
私は彼の言わんとすることを正確に理解できてはいません。ただ、感覚的に分かる気はしています。
はっきり言うと「知らないことを知っている」と言うだけでは、単なる「ああでもない、こうでもない」というグルグル思考に陥るだけで意味がないと思っています(笑)
単なるグルグル思考の「ああ言えば、こう言う」というやり方で、他者との議論に打ち勝つことだけを目的とした人間が日常生活の中でも見受けられますし、グルグル思考の親戚とも見えるウジウジ思考の人も幸せな成功に至ることはないでしょう。
もちろん、ソクラテス本人がただのグルグル思考の人物ではないことは明白です。
ただ、幸せな成功者を目指す私、名隠愛生が思うのは、今まで私が当然のように現実として捉えてきた世界は本当に真実なのか、という視点は大事だなということです。
知らないことを知っているという精神で学び続ける
当然のように現実として捉えてきた世界観は、本当に真実の世界を表しているのか、という視点を持つことが大事になるというのは、たとえ、どのような立場の、どんな年齢の方にあっても当てはまると考えます。
ソクラテスに”自ら毒杯をあおる”という刑を下したのは、当時、ギリシャの民衆の投票によって選ばれた人たちですが、彼の死後、約2500年の歴史の中で、人は、ソクラテスに刑を与えた人物ではなく、ソクラテスにこそ敬意を表し、学び続けてきたというのが、現実の世界です。
ソクラテスに刑を与えた人たちの常識や世界観は、その後を生きる人々と人類が生きるこの世界そのものの支持を得ることはなかったということです。
つまりが「知らないことを知っている」という精神で、謙虚に学び続ける姿勢が幸せな成功を手にして生涯現役で生きるためには必要であると、私は確信しています。
私が幸せな成功者として参考にしている方々は、知らないことは知らないと言います。そして、相手の立場や年齢など関係なく、柔和な物腰で人に接します。
小説「宮本武蔵」で有名な作家の吉川英治の言葉で「我以外皆師(われいがいみなし)」という言葉がありますが、幸せな成功者ほど、この心境に達しておられるようです。
あらゆるものから謙虚に学ぼうとする姿勢は虚勢や虚栄とは無縁で本物の自信というものを感じさせます。
彼らが集中している時は近寄りがたい雰囲気があるのですが、普段の彼らからは、気負うことなく、気取ることもなく、偽ることもない、自然体の言動が観察されます。
偏見の怖さ~「日常的な現実の世界」と「現実の世界」の混同
ジェームズ・アレンは語ります。
「自然のしくみ」は残酷で厳しいと言われています。
その反面、寛大な優しさに溢れているとも言われます。・・・
実際、現実の世界は、特別な誰かや何かに対して、厳しくもなければ、親切で優しいわけでもありません。
意図的に偏ることなく、単純に当然の状態を見せているだけです。
ジェームズ・アレンのこの言葉は当たり前と言えば当たり前ですが、私たちが日常生活で感じる現実の世界で、それを実感できるかと問われれば、そうでもありません。
あの先生はあの子にだけ優しい、という生徒の目線もあれば、あの生徒は自分にだけは反抗的だ、という教師の目線もあるでしょう。
あの上司はあいつにだけは甘い、という部下の視点があれば、あいつはどうも私に対して挑発的で気に食わない、という上司の視点もあるでしょう。
なんでお母さんは弟にだけ優しいのか、という子供の視点があれば、なんでこの子は他の子と比べてこんなに手がかかるのか、という親の視点もあるでしょう。
いやいや、それは一人の人間の個人的な感情の問題であって、ジェームズ・アレンが語る「自然のしくみ」とは全く別次元の話でしょうが、というツッコミが聞こえてきそうです(笑)全くもって、その通りです。
私が言いたいのは、個人的な感情と個人的な経験に引っ張られて、「日常的な現実の世界」と「自然のしくみ」や「現実の世界」を、いつの間にか混同していることも多いな、ということです。
幸せな成功者が見せる謙虚さと深い洞察力
分かりやすいのが「お金儲けは悪であり、お金持ちは悪人だ」という偏見です。
逆もまたあるでしょうね、「貧乏人はみな卑しく、隙あればたかりにくる」という偏見が。
いや、それも例えとしては何か違う、という声が聞こえてきそうです。
では、こういう話はどうでしょうか。
チャールズ・ダーウィンは自分の家族が病に倒れ、神にその回復を祈ったが、愛する家族はそのまま亡くなってしまった。以降、彼は神に対する信心を失い、人類は猿に似た存在から進化したと唱えた、という話です。
これは、テレビか何かで耳にしたエピソードで、詳しく調べたわけではありませんので、真偽はともかくとして、ここで考えてみたいのは「現実の世界は、特別な誰かや何かに対して、厳しくもなければ、親切で優しいわけでもなく、意図的に偏ることなく、単純に当然の状態を見せているだけ」というジェームズ・アレンの言葉と、幸せな成功者が見せる謙虚さと洞察力について、です。
もし、ダーウィンが「自然のしくみ」や「現実の世界」への研究と考察にあたり、自分の個人的な体験や経験という「日常的な現実の世界」に引っ張られて、個人的な感情から離れることができなかったとすれば、残念ながら、その洞察には偏見が含まれると言えるでしょう。
ここで私が言いたいのは、ダーウィン一個人のことではなく、各人の偏見を集合させた「日常的な現実の世界」と、ありのままの「自然のしくみ」や「現実の世界」との間には、差異があり得る、というより、確実にある、という視点です。
だからこそ、幸せな成功者は、あらゆるものから謙虚に学ぼうとする姿勢を取り、常識とされる知識や情報、教育では得られない、深い洞察力を得るのだと思うのです。
生涯現役で幸せな成功を目指す者のあるべき姿
幸せな成功者の特徴の一つに洞察力の深さがあると私には思えるのですが、それは、彼らが個人的な偏見をできるだけ取り除いているからであり、その自己修養が謙虚に学び続ける姿勢となって表れているようにも見えるのです。
そして、私たち一人一人が、死ぬ寸前まで心身共に活き活きとした状態で活動して、人それぞれの幸せや成功を手にする生涯現役人生のために、ありのままの「自然のしくみ」や「現実の世界」というものを、一寸の誤りもなく正確に把握しなければいけない、などということは全くありません。
「自然のしくみ」も「現実の世界」も、「原因と結果の法則」という真実に導かれています。そして、それぞれの人がそれぞれの人生に潜む「原因と結果の法則」に導かれて、今現代の私たちは、人生100年時代を生き抜こうとしています。
この世界の全ての事象の因果関係を、完全に把握できるわけでもない私たち人間です。己の弱さ、小ささを知る者こそ、共に生きる人々の苦しみ、楽しみ、悲しみ、喜びに共感できると言えますし、この共感力も幸せな成功者の特徴の一つです。
だからこそ、古今東西、有名無名を問わず、幸せな成功を手にしていると思える人物の確かな洞察力に裏付けられたメッセージに学び、個人的な偏見をできるだけ取り除くことが、各人が生涯現役で幸せな成功を手にするための道しるべの一つになると思います。
それが、幸せな成功を手にしたと思える人物が歩んだ人生の道のりでもあり、手にする結果はともかくとして、彼らと同質の「幸せな成功」のための原因を、自らの生涯を通じて、積み重ねることになるはずです。
まとめ
私、名隠愛生は、生涯現役で幸せな成功を目指す者のあるべき姿として、謙虚に学び続ける姿勢を挙げたいと思います。
謙虚に学び続けることによって、自身の偏見の克服が進み、自らの知識や経験・体験のみに縛られる人の弱さは、共に生きる人々への深い共感を伴う洞察力へと変化していきます。それが、幸せな成功者が示す力強い生き方の背景にはあると考えます。
お読みいただきありがとうございました。
引用元:
ジェームズ・アレン著「ジェームズ・アレン 人生を変える幸せの黄金法則 完全版」(2015年「ゴマブックス株式会社」発行)p.35