「自分には価値がない」
そんなふうに感じたことはありませんか。
仕事で失敗したとき。
人と比べてしまったとき。
誰かに認めてもらえなかったとき。
私たちは、自分の価値を見失ってしまうことがあります。
そしていつの間にか、
「もっと頑張らなければ価値がない」
「もっと成功しなければ価値がない」
「もっと人から評価されなければ価値がない」
と思うようになります。
しかし、本当にそうなのでしょうか。
イギリスの思想家ジェームズ・アレンは次のように語っています。
「世界のどこを見渡しても、善の代わりになるものはありません。
そして、人は善を手にしない限り、価値あるものや不滅なものを得ることはできないのです。
善を手に入れる方法は一つだけです。
それは、『善に反するありとあらゆるものを手放す』ことです。」
この言葉を読むと、多くの人は「もっと善い人になりなさい」という教えのように感じるかもしれません。
けれども私は、この言葉にはもっと深い意味があると思っています。
それは、「人は本来、善なる存在である」ということです。
仏教では、その本来の善なる性質を「仏性(ぶっしょう)」と呼びます。
仏性とは、誰の中にもある尊い命の輝きです。
もし今、自分に価値がないと感じているなら、それは価値そのものがなくなったのではありません。
ただ、その光が見えなくなっているだけなのです。
この記事では、ジェームズ・アレンの言葉を手がかりにしながら、「本当の価値とは何か」について考えてみたいと思います。
あなたの価値は結果で決まるものではない
私たちは子どもの頃から、
「良い成績を取ろう」
「頑張って結果を出そう」
と教えられて育ちます。
もちろん努力は大切です。
しかし、いつの間にか私たちは、
結果が出たら価値がある。
結果が出なければ価値がない。
という考え方を持ってしまいます。
テストで良い点を取ればうれしい。
仕事で成功すれば自信がつく。
けれど、その反対のことが起きると、
「自分はダメな人間だ」
と思ってしまうのです。
でも考えてみてください。
赤ちゃんは何もできません。
お金も稼げません。
勉強もできません。
それでも誰も、
「価値がない赤ちゃんだ」
とは言いません。
なぜでしょうか。
それは、人の価値は能力や結果によって決まるものではないからです。
本来、人は生きているだけで尊い存在です。
仏教でいう仏性とは、その尊さのことです。
私たちの価値は、成功したから生まれるものではありません。
もともと備わっているものなのです。
仏性とは、誰の中にもある善なる心
仏性という言葉を難しく感じる人もいるかもしれません。
けれど意味はとてもシンプルです。
「誰の中にも仏になる可能性がある」
ということです。
もっと簡単に言えば、
「誰の中にも善なる心がある」
ということです。
優しさ。
思いやり。
感謝する心。
人を大切にしたい気持ち。
これらは特別な人だけが持っているものではありません。
誰の中にもあります。
たとえ今、苦しみの中にいる人でも。
たとえ自分が嫌いな人でも。
たとえ大きな失敗をした人でも。
仏性は失われません。
太陽を想像してください。
空が曇っていると太陽は見えません。
けれど、太陽そのものは消えていません。
雲の向こうでずっと輝いています。
仏性も同じです。
怒りや不安や悲しみの雲によって見えなくなることはあります。
しかし、それ自体が消えてしまうことはないのです。
だから、自分を無価値だと思う必要はありません。
見えなくなっているだけで、本当の価値は今もあなたの中にあるのです。
私たちが価値を見失う理由
では、なぜ私たちは自分の価値を忘れてしまうのでしょうか。
それは、自分の外側ばかりを見るようになるからです。
人と比べる。
評価を気にする。
お金や地位ばかりを追い求める。
そうすると、本当に大切なものが見えなくなります。
仏教では、こうした状態を煩悩に振り回されている状態と考えます。
もっと認められたい。
もっと勝ちたい。
もっと褒められたい。
その気持ちが強くなりすぎると、自分の本来の姿を忘れてしまいます。
ジェームズ・アレンが語る「善に反するもの」とは、このような心の状態も含んでいるのではないでしょうか。
嫉妬。
憎しみ。
傲慢さ。
自己否定。
恐れ。
こうしたものが積み重なると、私たちは自分自身を正しく見ることができなくなります。
そして、
「自分には価値がない」
という間違った結論を出してしまうのです。
しかし本当は違います。
価値がなくなったのではありません。
本来の価値が見えなくなっているだけなのです。
だから必要なのは、新しい価値を手に入れることではありません。
本来の自分を覆っているものに気づくことなのです。
善を手に入れるとは何を意味するのか
ジェームズ・アレンはこう語りました。
「善を手に入れる方法は一つだけです。
それは、『善に反するありとあらゆるものを手放す』ことです。」
この言葉はとても大切です。
多くの人は、
「もっと立派にならなければ」
「もっと努力しなければ」
「もっと良い人にならなければ」
と思います。
つまり、何かを付け加えようとします。
しかしアレンは逆のことを言っています。
善を手に入れるためには、何かを増やすのではなく、不要なものを手放しなさいと言うのです。
これは仏教の考え方にもよく似ています。
仏教では、仏性はもともと誰の中にもあると考えます。
つまり、本来の善は最初から存在しているのです。
では、なぜそれが見えなくなるのでしょうか。
それは仏性を覆うものがあるからです。
たとえば、
「どうせ自分なんて」
という自己否定。
「自分だけが苦しい」
という思い込み。
「人より上に立ちたい」
という執着。
「失敗したら終わりだ」
という恐れ。
こうしたものが積み重なると、本来の光が見えなくなります。
それはまるで、鏡にたくさんのほこりが積もった状態です。
鏡そのものは壊れていません。
ただ、ほこりが映る力を隠しているだけです。
だから必要なのは、新しい鏡を手に入れることではありません。
ほこりを拭き取ることです。
善を手に入れるとは、自分の中に新しい何かを作ることではありません。
もともとある仏性が現れるようにすることなのです。
仏性を信じて生きると人生は変わる
もし自分の中に仏性があることを信じられたら、人生の見え方は大きく変わります。
まず、自分を必要以上に責めなくなります。
失敗をしても、
「失敗した自分は価値がない」
ではなく、
「失敗したけれど、自分の価値は変わらない」
と思えるようになります。
また、人を見る目も変わります。
苦手な人や嫌いな人を見たときでも、
その人の行動は認められなくても、その人の中にも仏性があると思えるようになります。
すると、憎しみよりも理解しようとする心が生まれます。
さらに、自分の人生に希望を持てるようになります。
なぜなら、本当の価値は外側の条件によって決まるものではないからです。
お金があるかないか。
成功しているかどうか。
人から認められているかどうか。
そうしたことは人生の一部分でしかありません。
本当に大切なのは、自分の中にある善なる心を信じて生きることです。
仏性を信じるとは、自分を過大評価することではありません。
また、自分は特別な存在だと思い込むことでもありません。
むしろ、
「自分にも尊い命がある」
と素直に認めることです。
そして、
「他の人にも同じように尊い命がある」
と知ることです。
そのような生き方は、人生に深い安心と温かさをもたらしてくれます。
まとめ
自分を無価値だと思ってしまう人は少なくありません。
しかし、本当に価値がなくなった人など一人もいません。
価値がなくなったのではなく、見えなくなっているだけです。
ジェームズ・アレンはこう語りました。
「世界のどこを見渡しても、善の代わりになるものはありません。
そして、人は善を手にしない限り、価値あるものや不滅なものを得ることはできないのです。
善を手に入れる方法は一つだけです。
それは、『善に反するありとあらゆるものを手放す』ことです。」
この言葉を仏教の視点から見ると、「善」とは仏性そのものだと考えることができます。
仏性は誰の中にもあります。
それは生まれたときから備わっている尊い命の光です。
だから私たちは、本当は価値を失うことができません。
失敗しても。
傷ついても。
人と比べてしまっても。
仏性そのものは決して失われないのです。
大切なのは、自分に価値を付け加えることではありません。
自分を覆っている不安や恐れや自己否定を少しずつ手放していくことです。
雲が晴れれば太陽が現れるように。
鏡のほこりを拭けば本来の輝きが現れるように。
あなたの中にある仏性も、必ずその姿を現します。
もし今、自分には価値がないと思っているなら、どうか思い出してください。
あなたの価値は、誰かの評価によって決まるものではありません。
あなたの価値は、成功や失敗によって増えたり減ったりするものでもありません。
あなたはもともと、尊い命の光を宿した存在なのです。
そのことを忘れないでください。