「もっと頑張らなければ」
「まだまだ自分は足りない」
「もっと成長しなければ」
「こんな自分ではダメだ」
そんなことを思いながら、毎日を過ごしていないでしょうか。
仕事を頑張る。
家族のために頑張る。
人間関係で嫌なことがあっても我慢する。
失敗したら、次はもっと頑張ろうとする。
周りの人ができていることが自分にできないと、自分を責める。
そして、休んでいても、「こんなことをしていていいのだろうか」と不安になる。
頑張ることは、本来、とても素晴らしいことです。
目標に向かって努力すること。
自分の務めを果たすこと。
誰かのために力を尽くすこと。
こうした努力は、人を成長させてくれます。
けれども、頑張り方によっては、自分を成長させるどころか、自分自身を苦しめてしまうことがあります。
それは、「今の自分ではダメだから、もっと頑張らなければならない」と思い続ける頑張り方です。
いつも現在の自分を否定し、まだ見ぬ「理想の自分」を追いかける。
何かを達成しても、「まだ足りない」と思う。
人から認められても、「もっと認められなければ」と思う。
そして、心も体も疲れてしまう。
そんな人に、ジェームズ・アレンの次の言葉は、大きな気づきを与えてくれるのではないでしょうか。
「人が本来あるべき姿は、罪ではなく善の状態です。
人は生まれつき、不完全ではなく完全な状態なのです。
人は、ある条件を満たせばすぐにこの状態を実現することが可能となります。
その条件とは、自己を否定し、放棄することです。
つまり、荒々しい欲望や自尊心、エゴや利己心といったものを捨て去ることです。」
この言葉は、「もっと頑張って、立派な人間になりなさい」と言っているのではありません。
むしろ、その反対です。
「あなたは、何かをたくさん手に入れなければ価値のある人間になれないわけではない。
自分を苦しめているものを、少しずつ手放していけばいい」
そう教えてくれているように思います。
頑張り疲れてしまった人へ。
もう、そんなに自分を追い立てなくてもいいのです。
今日は、「何を足せば自分は良くなるのか」ではなく、
「何を手放せば、もっと穏やかに生きられるのか」という視点から、
自分自身を見つめてみましょう。
「今の自分ではダメだ」と思い続けなくていい
頑張りすぎてしまう人には、一つの共通した思いがあります。
それは、
「今の自分では足りない」
という思いです。
もっと仕事ができなければいけない。
もっと人に好かれなければいけない。
もっとお金を持たなければいけない。
もっと立派にならなければいけない。
もっと自信を持たなければいけない。
もっと心の強い人間にならなければいけない。
こうして、自分に「もっと、もっと」と言い続けます。
もちろん、「成長したい」という気持ちは悪いものではありません。
昨日より今日、今日より明日、少しでも良い自分になりたいと思うことは、とても大切です。
しかし、「成長したい」という思いと、
「今の自分には価値がない」という思いは、同じではありません。
ここを間違えてしまうと、努力が苦しみに変わります。
たとえば、テストで80点を取ったとします。
「よく頑張った。次は85点を目指そう」
と思えるなら、努力は前向きなものになります。
ところが、
「80点しか取れない自分はダメだ」
「100点を取らないと自分には価値がない」
と思ってしまったら、同じ努力でも苦しくなります。
人生でも同じです。
仕事で失敗した。
人間関係でうまくいかなかった。
目標を達成できなかった。
そんなときに、
「今回はうまくいかなかった。では、次にどうすればいいだろう」
と考えるのと、
「こんな自分はダメだ。もっと頑張らなければ」
と自分を責めるのでは、心にかかる重さがまったく違います。
アレンは、
「人は生まれつき、不完全ではなく完全な状態なのです。」
と言っています。
これは、「今の自分の行動は全部完璧だ」という意味ではありません。
怒ることもある。
嫉妬することもある。
失敗することもある。
自分勝手になることもある。
それでも、その奥には、善へ向かっていく力がある。
だから、失敗した自分を見て、
「自分はダメな人間だ」
と決めつける必要はないのです。
「また一つ、手放すべきものが見つかった」
と考えてみる。
その見方ができると、人生は少し楽になります。
成長とは、「何かを足すこと」だけではない
私たちは、「成長」という言葉を聞くと、何かを身につけることを考えます。
知識を増やす。
仕事の力を高める。
資格を取る。
経験を積む。
体を鍛える。
人との付き合い方を学ぶ。
これらは、確かに大切です。
しかし、人間の成長には、もう一つの方向があります。
それが、「手放すこと」です。
怒りを手放す。
嫉妬を手放す。
人と比べることを手放す。
「自分だけは得をしたい」という思いを手放す。
「自分の思い通りになってほしい」という執着を手放す。
「みんなに認められたい」という強い思いを手放す。
「自分が正しい」と言い張る心を手放す。
これは、何もしないことではありません。
むしろ、とても勇気のいることです。
たとえば、誰かに嫌なことを言われたとします。
腹が立つのは自然なことです。
「言い返してやりたい」
「相手にも同じ思いをさせたい」
と思うかもしれません。
でも、その怒りにそのまま従わないことはできます。
「今、私は怒っている」
と気づく。
「でも、この怒りに従ったら、自分は本当に望んでいる人間になれるだろうか」
と考える。
そして、言葉を飲み込む。
少し時間を置く。
必要なことだけを落ち着いて伝える。
これが「手放す」ということです。
怒りを感じてはいけないのではありません。
怒りに自分の人生を支配させないのです。
だから、手放すことは「弱くなること」ではありません。
むしろ、自分の心を自分で治める強さなのです。
そして、その小さな選択を何度も繰り返していると、少しずつ人格が変わっていきます。
昨日なら怒っていたことに、今日は少し我慢できる。
昨日なら人を責めていたことを、今日は一度考えられる。
昨日なら「自分が正しい」と思っていたことを、
今日は「相手にも事情があるかもしれない」と考えられる。
この小さな変化が、本当の成長なのです。
「自己を放棄する」とは、自分を嫌いになることではない
ここで、ジェームズ・アレンの言葉の中でも、特に誤解しやすい部分を考えてみましょう。
アレンは、
「その条件とは、自己を否定し、放棄することです。」
と言っています。
これだけを読むと、
「自分を否定しなさい」
「自分を嫌いになりなさい」
「自分のことを大切にしてはいけない」
という意味に感じるかもしれません。
でも、そうではありません。
アレンが手放そうとしているのは、人間としての自分そのものではなく、自分を中心にして物事を考えようとする心なのだと思います。
たとえば、
「自分が正しくなければならない」
「自分だけは損をしたくない」
「もっと人から認められたい」
「自分の思い通りになってほしい」
「自分のほうが優れていると思われたい」
「嫌なことをされたら、相手にも同じことをしてやりたい」
こうした思いです。
これらが強くなると、心はとても疲れます。
なぜなら、世の中は自分の思い通りにはならないからです。
人は、自分の思い通りには動きません。
仕事も、いつも思い通りにはいきません。
努力しても、すぐに結果が出るとは限りません。
正直に生きていても、誤解されることがあります。
一生懸命やっても、評価されないことがあります。
そのたびに、
「なぜだ」
「どうして自分ばかり」
「もっと認めてほしい」
と思っていたら、心は休むことができません。
だからこそ、少しずつ「自分中心の思い」を手放していく。
これは、自分を大切にしないことではありません。
むしろ、自分を苦しめているものから自分を解放することなのです。
「自分を捨てる」のではありません。
「自分を苦しめている自我を手放す」のです。
この違いを知っておくことは、とても大切です。
「もっと頑張る」より、「何を手放すか」を考えてみる
頑張り疲れている人は、苦しいときにも、さらに頑張ろうとします。
仕事がうまくいかなければ、もっと働く。
人間関係がうまくいかなければ、もっと相手に合わせる。
失敗したら、もっと自分を厳しくする。
自信がなくなったら、もっと努力する。
もちろん、努力が必要な場面もあります。
けれども、何でも「もっと頑張る」で解決しようとすると、心が先に疲れてしまいます。
そこで、一度、問いを変えてみましょう。
「何をすれば、もっと良くなるだろう?」
ではなく、
「何を手放せば、少し楽になれるだろう?」
と考えてみるのです。
たとえば、
「みんなから好かれなければならない」という思いを手放せないだろうか。
「失敗してはいけない」という思いを少しゆるめられないだろうか。
「自分だけは損をしたくない」という気持ちを手放せないだろうか。
「相手に分かってもらわなければならない」という執着を手放せないだろうか。
「昔の失敗を何度も思い出して、自分を責め続けること」をやめられないだろうか。
「もっと、もっと」と欲し続ける心を、少し静かにできないだろうか。
こうして見ると、私たちは知らないうちに、たくさんのものを握りしめて生きています。
そして、その握りしめているものが重くなりすぎると、「人生が重い」と感じるようになります。
だから、手放すことは逃げることではありません。
荷物を一つずつ下ろすことです。
全部を一度に手放す必要はありません。
今日は一つ。
明日は一つ。
小さなものからでいいのです。
本来の自分に戻るために、今日できること
ジェームズ・アレンの言葉を、毎日の生活に生かすなら、
難しいことをする必要はありません。
まず、自分の心を少し観察してみることです。
何か嫌なことが起きたとき、
「なぜ、こんなことが起きたんだ」
と考える前に、
「今、自分は何に苦しんでいるのだろう?」
と見てみます。
もしかしたら、
「認められたい」
という思いかもしれません。
「負けたくない」
という思いかもしれません。
「自分の思い通りにしたい」
という思いかもしれません。
「損をしたくない」
という思いかもしれません。
「相手に謝ってほしい」
という思いかもしれません。
それに気づいたら、
「この思いを、少しだけ手放してみよう」
と考えます。
すぐにできなくても構いません。
また怒ってしまってもいい。
また人と比べてしまってもいい。
また自分を責めてしまってもいい。
大切なのは、
「気づいたら、戻る」
ことです。
怒りに気づいたら、穏やかさへ戻る。
欲望に気づいたら、必要なものへ戻る。
自尊心に気づいたら、謙虚さへ戻る。
利己心に気づいたら、思いやりへ戻る。
そして、「自分はダメだ」と思ったら、
「ダメな自分を作り直さなければならない」のではなく、
「本来の善なる自分に、もう一度立ち返ろう」
と考える。
そうすれば、一つの失敗も、成長の材料になります。
もう、そんなに自分を追い立てなくてもいい
頑張っている人ほど、「もっと頑張らなければ」と思います。
今の自分では足りない。
もっと成長しなければならない。
もっと認められなければならない。
もっと結果を出さなければならない。
そうやって、自分を追い立て続けます。
でも、ジェームズ・アレンの言葉は、私たちに別の道を教えてくれています。
もう一度、その言葉を見てみましょう。
「人が本来あるべき姿は、罪ではなく善の状態です。
人は生まれつき、不完全ではなく完全な状態なのです。
人は、ある条件を満たせばすぐにこの状態を実現することが可能となります。
その条件とは、自己を否定し、放棄することです。
つまり、荒々しい欲望や自尊心、エゴや利己心といったものを捨て去ることです。」
この言葉を、私は頑張り疲れている人への、優しい呼びかけとして受け取りたいと思います。
「あなたは、もっと何かを手に入れなければ価値がない人ではない」
「もっと頑張って、別の人間にならなければならないわけではない」
「あなたの中には、もともと善へ向かう力がある」
だからこそ、
「もう、そんなに自分を追い立てなくてもいい」
のです。
もちろん、努力をやめる必要はありません。
自分の務めを果たしていきましょう。
目標があるなら、その目標に向かって歩きましょう。
必要なことは、一つずつ行いましょう。
ただし、自分の価値を証明するために頑張るのではありません。
人より上に立つために頑張るのでもありません。
誰かから認めてもらうためだけに頑張るのでもありません。
自分の中にある善を生かすために、今日できる正しいことをする。
そのような努力なら、私たちを必要以上に疲れさせることはないでしょう。
そして、成長とは、いつも何かを足すことではありません。
怒りを一つ手放す。
執着を一つ手放す。
見栄を一つ手放す。
「自分が正しい」という思いを一つ手放す。
「もっと、もっと」という欲望を一つ手放す。
そうやって、自分を覆っているものを少しずつ取り除いていく。
すると、その奥にあった穏やかさや、誠実さや、思いやりが、少しずつ顔を出してくる。
それが、本来の自分に立ち返っていくということなのかもしれません。
頑張りすぎて疲れてしまったあなたへ。
今日は、自分にこう声をかけてみてください。
「私は、もっと頑張らなければ価値がない人間ではない。」
「自分を嫌いになる必要はない。」
「私を苦しめているものを、一つずつ手放していけばいい。」
そして、
「もう、そんなに自分を追い立てなくてもいい。」
と。
人生は、いつも前へ前へと進まなければならないものではありません。
ときには立ち止まり、握りしめていたものを手放し、本来の自分に戻る。
その静かな一歩もまた、確かな成長なのです。