「自分は賢くない」
そう思って、落ち込んでしまうことはありませんか。
学校の勉強が得意ではなかった。
仕事を覚えるのが人より遅い。
人との会話で、いつも気の利いたことが言えない。
判断を間違えてしまうことが多い。
周りの人は何でも分かっているように見えるのに、自分だけが何も分かっていないように感じる。
そんな経験が続くと、「自分には頭の良さがない」と考えてしまうかもしれません。
けれども、本当に「賢い」というのは、何でも知っていることなのでしょうか。
いつでも正しい答えを出せることでしょうか。
私は、そうではないと思います。
本当の意味で賢明な人は、「分からないことは分からない」と素直に言えます。
知らないことを知ったふりをしません。
間違ったときには、「自分が間違っていました」と認めます。
人から学ぶことを恥ずかしいと思いません。
そして、今までの経験を一つ一つ、自分を成長させる材料にしていきます。
ジェームズ・アレンは、知恵について次のように語っています。
「賢明になることを妨げているのは自分自身です。
自分の努力によってのみ、知恵を獲得することができるのです。
まず自分自身に正直になり、いかに無知であるかを自覚し、自身の過ちを直視し、欠点を認知し、そして、新たに生まれ変わるために、ただちに行動を起こすのです。
そのような人はすぐに知恵への道を見つけることができるでしょう。
知恵は、実践によってのみ獲得できるのです。」
この言葉には、「自分は賢くない」と悩んでいる人にとって、とても大切な希望があります。
それは、知恵は生まれつき決まっているものではないということです。
知恵は、これから身につけていくことができます。
しかも、そのために特別な才能が必要なわけではありません。
今の自分の経験をよく見て、そこから素直に学んでいけばいいのです。
「自分は賢くない」と決めつけなくていい
まず、考えてみてほしいことがあります。
「自分は賢くない」という言葉は、本当に正しいのでしょうか。
たとえば、仕事を覚えるのが遅かったとします。
そこから、
「自分は頭が悪い」
「だから何をやっても無理だ」
と考える人がいるかもしれません。
でも、本当は、
「まだ仕事のやり方に慣れていない」
だけかもしれません。
人間関係で失敗したとしても、
「自分には人と付き合う力がない」
と決めつける必要はありません。
もしかすると、
「相手の話を最後まで聞くことを覚えていなかった」
だけかもしれません。
失敗したとしても、
「自分はダメな人間だ」
と決めるのではなく、
「この経験から、何を学べるだろう?」
と考えてみる。
この違いは、とても大きいものです。
「自分は賢くない」と決めてしまえば、そこで終わってしまいます。
しかし、
「自分にはまだ知らないことがある」
と考えれば、そこから学ぶことができます。
つまり、「知らない」ということと、「賢くない」ということは同じではないのです。
むしろ、「自分はまだ知らない」と素直に認められることは、知恵への入口です。
本当に賢明な人は、何でも知っている人ではありません。
「私は知らない」と言える人です。
「教えてください」と言える人です。
「自分の考えが間違っているかもしれない」と考えられる人です。
それは弱さではありません。
学ぶための強さなのです。
「分からない」と言える人は、知恵への道を歩いている
私たちは、「知らない」と言うことを恥ずかしく感じることがあります。
「こんなことも知らないのかと思われたらどうしよう」
「頭が悪いと思われたくない」
「恥をかきたくない」
そんな気持ちから、分からないのに分かったふりをしてしまうことがあります。
でも、分からないことを隠してしまうと、そこで学びが止まります。
たとえば、仕事で分からないことがあったとします。
分からないまま、自分だけで何とかしようとして、失敗してしまう。
そのとき、
「どうして失敗したんだろう」
と考えることもできますが、もっと早い方法があります。
最初に、
「すみません。ここが分からないので教えてください」
と言うことです。
たったこれだけです。
すると、経験のある人から教えてもらえます。
一つ知識が増えます。
そして、その知識を次の仕事で使えば、今度は自分の経験になります。
このように、
「分からない」→「教えてもらう」→「やってみる」→「分かるようになる」
という流れが生まれます。
だから、「分からない」と言えることは、恥ずかしいことではありません。
むしろ、知恵を身につける人にとって、とても大切な力なのです。
さらに経験を積んでいくと、面白いことに気づきます。
知れば知るほど、「自分はまだ知らないことがたくさんある」と分かってくるのです。
一つのことを深く学ぶと、その周りに新しい疑問が出てきます。
今まで見えていなかった世界が見えてきます。
だから、本当に学んでいる人ほど、自然体になります。
自分を大きく見せようとしません。
「それは知りませんでした」
「なるほど、そういう考え方もあるのですね」
「そこは私の間違いでした」
と、普通に言えるようになります。
それは、自分を低く見ているのではありません。
自分を実際以上に大きく見せる必要がなくなったのです。
失敗は「自分が賢くない証拠」ではなく、知恵を学ぶ教材
「失敗が多いから、自分は賢くない」
そう思っている人もいるでしょう。
でも、失敗そのものが悪いわけではありません。
大切なのは、失敗したあとに何をするかです。
たとえば、人にきつい言葉を言ってしまったとします。
そのとき、
「相手が悪かった」
「自分は悪くない」
と考えて終わることもできます。
しかし、
「自分はなぜ、あんな言い方をしたのだろう?」
と考えることもできます。
「怒っていたからだ」
「自分の思い通りにならなかったからだ」
「相手の話を聞く前に、自分の意見を言ってしまったからだ」
と気づくかもしれません。
そして次に、
「今度は怒ったとき、すぐに言い返さず、一度落ち着こう」
と決める。
ここまでできたら、その失敗はただの失敗ではありません。
知恵を学ぶための経験になっています。
ジェームズ・アレンが、
「自身の過ちを直視し、欠点を認知し」
と語っているのも、こういうことではないでしょうか。
自分の欠点を見ることは、楽しいことではありません。
「自分にも悪いところがあった」と認めるのは、勇気が必要です。
けれども、そこから逃げなければ、自分を変えることができます。
反対に、「自分は何も悪くない」と思い続ければ、同じことを何度も繰り返してしまうかもしれません。
だから、失敗したときには、
「私はダメだ」ではなく、「私は何を学べるだろう?」
と問いかけてみましょう。
この一つの問いが、人生を大きく変えていくことがあります。
経験の数より、「経験から何を学んだか」が大切
では、賢明な人になるには、何年くらい経験が必要なのでしょうか。
十年でしょうか。
二十年でしょうか。
もちろん、長い経験は大きな力になります。
しかし、ただ長く生きているだけで、自然に知恵が身につくわけではありません。
同じ失敗を何度も繰り返しながら、「自分は悪くない」と思い続けていれば、十年の経験があっても、そこから十分に学べないことがあります。
一方で、一つの失敗を深く振り返った人は、その経験から大きな知恵を得ることがあります。
だから、
経験の量だけではなく、経験から何を学んだかが大切なのです。
たとえば、今日、誰かとケンカをしたとします。
その経験をただ「嫌な一日だった」で終わらせるのか。
それとも、
「自分は何に腹を立てたのだろう?」
「相手の話を聞いていただろうか?」
「自分の言い方に問題はなかっただろうか?」
「次に同じことが起きたら、どうすればいいだろう?」
と考えるのか。
後者なら、その一日の経験は、未来の自分を助ける知恵になります。
人生では、毎日いろいろなことが起こります。
仕事の失敗。
人とのすれ違い。
思い通りにならない出来事。
自分自身への失望。
うれしい出来事。
誰かから受けた親切。
これらはすべて、自分を成長させる材料になります。
だから、賢明さを身につけるために、特別な経験を探す必要はありません。
今、自分の前にある経験を、丁寧に見ればいいのです。
知恵は「知っていること」ではなく「実践できること」
ここまで読んでくれた人に、ぜひ覚えておいてほしいことがあります。
それは、
知識と知恵は同じではない
ということです。
たとえば、
「人には優しくしたほうがいい」
と知っている人がいたとします。
これは知識です。
でも、実際に嫌なことを言われたとき、
「それでも、できるだけ相手を傷つけないように話そう」
と行動できたなら、その知識は知恵になり始めます。
「怒らないほうがいい」と知っている。
でも、怒ったときには相手を責めてしまう。
それなら、まだ知識の段階です。
怒ったときに、一度黙る。
深呼吸する。
その場を少し離れる。
落ち着いてから話す。
ここまで実践して、初めて知恵が身についていきます。
だからアレンは、
「知恵は、実践によってのみ獲得できるのです。」
と言っています。
これは、とても希望のある言葉です。
なぜなら、知恵を身につけるために、「生まれつき頭が良いこと」は必要ないからです。
今日から実践できます。
一つの失敗から学ぶ。
分からないことを「分からない」と言う。
人の話をよく聞く。
自分の間違いを認める。
教えてもらったことをやってみる。
そして、うまくできなかったら、また振り返る。
この繰り返しでいいのです。
まとめ
「自分は賢くない」と悩んでいる人へ。
あなたが今、何かを知らないとしても、それだけで自分をダメな人間だと決める必要はありません。
知らないことは、恥ではありません。
大切なのは、
知らないことを認められるかどうかです。
間違ったことをしたなら、間違いを認める。
失敗したなら、そこから学ぶ。
分からないなら、教えてもらう。
知識を得たなら、実際に使ってみる。
そして、また経験から学ぶ。
この繰り返しによって、人は少しずつ賢明になっていきます。
本当に賢い人は、何でも知っている人ではありません。
「分かりません」と言える人。
「教えてください」と言える人。
「私が間違っていました」と言える人。
そして、そこで終わらず、実際に行動を変えられる人です。
だから、賢明さを身につけるのに、「何十年も待たなければならない」と考える必要はありません。
今日の経験から、一つ学ぶ。
今日の自分の間違いを、一つ認める。
今日、何か一つ行動を変える。
それだけでも、知恵への一歩です。
ジェームズ・アレンの言葉にあるように、
「自分の努力によってのみ、知恵を獲得することができるのです。」
知恵は、誰かから完成した形でもらうものではありません。
自分で学び、自分で考え、自分で実践しながら、少しずつ育てていくものです。
そして、その道の最初にあるのは、もしかすると、
「私は、まだ知らないことがたくさんあります」
という、たった一つの素直な言葉なのかもしれません。
「自分は賢くない」と悩んでいるなら、今日から少しだけ考え方を変えてみませんか。
「自分は賢くない」のではなく、
「自分には、まだ学ぶことがある」
と。
そう思えた瞬間から、今までの失敗も、苦しかった経験も、恥ずかしかった出来事も、すべてが知恵を育てる材料に変わっていきます。
人生に無駄な経験はありません。
ただ、その経験から何を学ぶかは、自分で選ぶことができます。
だから焦らなくても大丈夫です。
今日の一歩を大切にしましょう。
知恵とは、遠くにある特別なものではありません。
今ここにある一つ一つの経験から、素直に学ぶこと。
その積み重ねの中に、本当の賢明さへの道があるのです。