メッセージ

人生を複雑に考えすぎて苦しい人へ~ジェームズ・アレンが教える「単純に生きる」方法

「これからどう生きればいいのだろう」
「仕事も、お金も、人間関係も、将来のことも心配だ」
「失敗したくない。でも、何をすればいいのか分からない」
「いろいろ考えているうちに、頭の中がいっぱいになってしまった」

そんなことはありませんか?

人生について真剣に考えることは、とても大切です。

しかし、真剣に考えれば考えるほど、人生が複雑に見えてしまうことがあります。

あれも考えなければならない。
これも決めなければならない。
あの人のことも気になる。
将来のことも心配になる。

「もっと頑張らなければ」と思う一方で、「もう疲れた」と感じる。

そして、何をどうすればいいのか分からなくなってしまう。

そんなとき、ジェームズ・アレンの次の言葉は、私たちに大切なことを教えてくれます。

 

「痛みを伴う混沌とした欲望や余計な考えを捨て、永続する本質的なものだけを大切にすることが、単純さへの道です。
では、人生における永続的なもの、本質的なものとは一体何なのでしょうか。
美徳のみが永遠であり、人格のみが本質的なものです。
余計なものから解放され、正しい理解を持って日々営めば、人生はとても単純なものになります。
よって、人生は、いくつかの簡単な、しかし実践することは困難な原理に集約することができます。
偉大な人物たちは、みなこうした単純な人生を送っているのです。」

 

この言葉の中には、人生に迷ったときの、とてもシンプルな考え方があります。

それは、
「何を大切にして生きるのかを決める」
ということです。

人生のすべてを一度に解決しようとしなくてもいい。

まず、本当に大切なものを見つける。

そして、その大切なものを、毎日の生活の中で少しずつ実践する。

それが、人生を複雑さから単純さへ戻していく道なのではないでしょうか。

人生が複雑になるのは「大切なもの」が多すぎるから

人生を複雑にしているものは、出来事そのものだけではありません。

私たちの心の中にある、たくさんの「こうしたい」「こうならなければ」という思いも、人生を複雑にします。

「お金が欲しい」
「成功したい」
「人から認められたい」
「嫌われたくない」
「失敗したくない」
「勝ちたい」
「もっと楽をしたい」
「将来が不安だ」
「自分だけ損をしたくない」

こうした思いが一つだけなら、まだ大きな問題ではないかもしれません。

でも、たくさんの思いが同時に心の中にあると、どうなるでしょうか。

「お金も欲しい。でも、仕事ばかりも嫌だ」
「人から認められたい。でも、人の目を気にするのも疲れる」
「成功したい。でも、失敗するのが怖い」
「人に優しくしたい。でも、自分が傷つくのは嫌だ」

このように、心の中でいろいろな思いがぶつかり始めます。

すると、頭の中が忙しくなります。

そして、人生そのものが複雑に見えてきます。

だからアレンは、「余計な考えを捨てる」ことを、単純さへの道だと言っているのでしょう。

これは、「何も考えるな」という意味ではありません。

むしろ、
「本当に大切なことと、それほど大切ではないことを分けよう」
ということです。

すべてを大切にしようとすると、結局、何が一番大切なのか分からなくなります。

だからこそ、自分に問いかけてみるのです。

「私は、どんな人間として生きたいのだろう?」

この問いから始めると、人生の見え方が変わってきます。

単純さとは「何もしないこと」ではなく、大切なものを一つにすること

「単純に生きる」と聞くと、

「欲をなくすことなのかな?」
「何も持たないことなのかな?」
「仕事もお金もあきらめることなのかな?」

と思うかもしれません。

しかし、アレンが言っている「単純さ」は、そういう意味ではないでしょう。

単純さとは、
「自分にとって本当に大切なものが分かっている状態」
だと考えることができます。

たとえば、
「私は誠実に生きたい」
と決めたとします。

すると、仕事をするときにも、
「この行動は誠実だろうか?」
と考えることができます。

人と話すときにも、
「この言葉は誠実だろうか?」
と考えられます。

困ったときにも、
「ここで誠実に行動するにはどうすればいいだろう?」
と考えられます。

判断するたびに、ゼロから答えを探す必要がなくなるのです。

同じように、
「人を思いやって生きる」
と決めたなら、

「ここで思いやりを選ぶなら、どうすればいいだろう?」
と考えられます。

このように、人生の中心に一つの大切な原理を置くと、迷いが少なくなります。

つまり、単純さには、

「明確さ」

という価値があります。

何を大切にするかが分かる。

だから、何を選べばいいのかも少しずつ分かってくる。

人生のすべての問題が消えるわけではありません。

それでも、心の中に一本の道が見えてくるのです。

なぜ「美徳」と「人格」が人生の本質なのか

では、何を人生の中心に置けばいいのでしょうか。

アレンは、はっきり答えています。

「美徳のみが永遠であり、人格のみが本質的なものです。」

ここでいう「美徳」とは、たとえば、

誠実さ、正直さ、思いやり、忍耐、勇気、節制、正義、愛

などです。

お金や地位が大切ではない、という意味ではありません。

お金があれば生活を助けることができます。

仕事で成功すれば、できることも増えるでしょう。

人から信頼されることも、社会で生きていくうえで大切です。

しかし、お金も地位も評判も、人生の中で変化します。

今日持っているものを、明日も持っているとは限りません。

一方で、自分の中に育てた誠実さや思いやりは、自分の人格の一部になります。

ここにアレンは、「本質的なもの」を見ているのでしょう。

たとえば、誰も見ていないところでも正直に行動する。

怒りたいときでも、すぐに相手を傷つける言葉を出さない。

自分が失敗したとき、人のせいにするだけではなく、自分にできることを考える。

困っている人を見たとき、自分にできる小さな親切をする。

こうした一つひとつの行動は、とても小さく見えます。

しかし、その小さな行動を何度も繰り返していると、少しずつ自分自身が変わっていきます。

最初は「正しく行動しよう」と努力していたのが、やがて「正しく行動する人」になっていく。

これが人格です。

だから、アレンは「人格のみが本質的なもの」と言っているのではないでしょうか。

真理は簡単なのに、なぜ実践するのは難しいのか

ここで、一つ不思議なことがあります。

美徳を大切にして生きる。
人を思いやる。
正直に生きる。
愛を選ぶ。

言葉だけを見ると、とても簡単です。

ところが、実際にやってみると難しい。

なぜでしょうか。

それは、真理が難しいからではなく、真理とは反対方向へ動こうとする心が自分の中にあるからです。

たとえば、頭では、

「人を許したほうがいい」

と分かっていても、心の中では、

「でも、あの人は許せない」

と思うことがあります。

「怒ってはいけない」と分かっていても、腹が立つことがあります。

「人に親切にしよう」と思っていても、自分が疲れているときには、そんな余裕がなくなることもあります。

「正しく生きよう」と決めても、目の前の利益を選びたくなることもあります。

つまり、

「正しいことを知っている自分」と、「今すぐ楽になりたい自分」が心の中でぶつかることがある。

だから、実践することが難しいのです。

そして、ここが大切です。

実践が難しいからといって、

「自分には美徳がない」
「自分はダメな人間だ」

と考える必要はありません。

むしろ、その迷いや葛藤があるからこそ、

「それでも、こちらを選ぼう」

という練習ができます。

愛を選ぶ。
誠実さを選ぶ。
忍耐を選ぶ。
正しさを選ぶ。

その小さな選択を繰り返すことで、自分の人格が少しずつ練られていきます。

だから、人格をつくることには時間がかかるのです。

決意した瞬間に、立派な人格が完成するわけではありません。

何度も選び直し、失敗し、また選ぶ。

その繰り返しの中で、人は少しずつ変わっていきます。

「慈悲・仁・愛」という単純な原理を、毎日の生活で実践する

ジェームズ・アレンは、先ほどの言葉に続いて、偉大な人物たちが説いた人生の原理について、次のように述べています。

 

「仏陀は人生を「八正道」に集約し、これを実践すれば悟りに達すると唱えました。
さらにこれらの道を一つにまとめて「慈悲」と呼びました。
孔子は、五つの徳によって完璧な知識を得ることができるとし、それらを「仁」もしくは「思いやり」と表現しました。
そしてイエスは、人生全体を「愛」の原理に集約しました。
「慈悲」、「仁」、「愛」、これらはすべて同じものです。」

 

ここには、今回のテーマである「単純さ」の意味が、さらに深く表れています。

仏陀は「慈悲」。
孔子は「仁」。
イエスは「愛」。

それぞれの教えには、もちろん違いがあります。

しかしアレンは、その根底に共通するものを見ています。

それは、
「自分だけを中心にして生きるのではなく、他者を思いやり、調和して生きる」
という方向です。

これは、とても簡単な言葉です。

しかし、実践するとなると簡単ではありません。

誰かに親切にすることはできます。

でも、自分を傷つけた人に思いやりを持つのは難しい。

人に優しくすることはできます。

でも、自分が疲れているときに優しくするのは難しい。

相手の幸せを願うことはできます。

でも、自分が損をしたと感じたときに、それを続けるのは難しい。

だから、「愛」という言葉は簡単でも、「愛を生きる」ことは難しいのです。

ここに、アレンのいう、

「簡単な、しかし実践することは困難な原理」

という意味があります。

真理は複雑なのではありません。

むしろ、とても単純です。

難しいのは、それを自分の心と行動にまで浸透させることなのです。

単純さには「集中する力」と「自由になる力」がある

人生を複雑に考えすぎていると、心の力があちこちに分散してしまいます。

「あの人にどう思われただろう」
「将来は大丈夫だろうか」
「もっと成功しなければ」
「失敗したらどうしよう」
「自分だけ遅れているのではないか」

そんなことを一つひとつ考えていると、心は疲れてしまいます。

そこで、
「自分は、どんな人間として生きたいのか」
というところに戻ってみます。

たとえば、
「誠実に生きたい」
と決める。

すると、人生のいろいろな場面で、この言葉を判断の軸にできます。

「今の自分は誠実だろうか?」
「この言葉は誠実だろうか?」
「この選択は、自分が大切にしている生き方に合っているだろうか?」

このように考えると、心の力が一つの方向に集まります。

これが単純さの持つ「集中する力」です。

そして、もう一つ大切なのが「自由」です。

欲望が増えれば増えるほど、人間は自由になるとは限りません。

「もっと欲しい」
「もっと認められたい」
「絶対に負けたくない」
「嫌われたくない」

と思っていると、その欲望や他人の評価に心を動かされます。

反対に、

「私は正しく生きることを大切にする」

と決めると、外側の変化に心を支配されにくくなります。

褒められても、けなされても、

「それでも、自分は誠実に生きよう」

と戻ってくることができる。

だから単純さとは、何も考えないことではありません。

余計なものに心を支配されず、本当に大切なものを選び続ける自由なのです。

人生を単純にすると「静けさ」と「強さ」が生まれる

単純さには、もう一つ大きな価値があります。

それは、心の静けさです。

人生が複雑になると、心の中でいろいろな声が聞こえてきます。

「もっと頑張らなければ」
「失敗したくない」
「どうして自分だけ」
「あの人には負けたくない」
「将来が怖い」
「このままでいいのだろうか」

もちろん、こうした不安を完全になくすことはできません。

しかし、自分の人生の中心を決めておくと、迷ったときに戻ってくる場所ができます。

たとえば、
「私は、人を大切にしながら生きる」
と決めたとします。

仕事で困ったときも、

人間関係で悩んだときも、

失敗したときも、

「では、ここで人を大切にするにはどうすればいいだろう?」

と考えることができます。

これなら、人生のすべてを一度に解決しようとしなくてもいい。

今日の自分にできることを、一つ選べばいいのです。

そこに静けさが生まれます。

そして、その静けさは強さにもなります。

単純さとは、弱いことではありません。

むしろ、
「自分の大切な原理から離れない強さ」
です。

怒りたくなったときにも、誠実さを選ぶ。

仕返ししたくなったときにも、愛を選ぶ。

楽なほうへ逃げたくなったときにも、正しいことを選ぶ。

結果が思い通りにならなくても、正しい原因をつくり続ける。

これは、とても強い生き方です。

「人格を練る」という人生なら、何歳からでも始められる

ここまで考えると、アレンのいう「単純な人生」が、どのようなものなのかが見えてきます。

それは、
「人生の中心を、美徳の獲得と人格を練ることに置く人生」
なのではないでしょうか。

お金を得てもいい。

仕事で成功してもいい。

豊かな生活を目指してもいい。

夢を持ってもいい。

しかし、そのすべての中心に、

「自分はどんな人間になりたいのか」

という問いを置くのです。

そうすると、人生の見方が変わります。

成功したときには、

「この成功によって、どんな人格を育てられるだろう?」

と考えることができます。

失敗したときには、

「この経験から、どんな美徳を学べるだろう?」

と考えることができます。

困難に出会ったときには、

「この状況の中で、忍耐や勇気を育てられないだろうか?」

と考えることができます。

人間関係で悩んだときには、

「ここで、愛や思いやりを選ぶことはできないだろうか?」

と考えることができます。

そうすると、人生の出来事がすべて、「人格を練る機会」に変わってきます。

もちろん、苦しい出来事を無理に「良いもの」と考える必要はありません。

つらいものは、つらい。
悲しいものは、悲しい。

それでも、

「この状況の中で、自分はどんな人間として生きるのか」

を選ぶことはできます。

そして、その選択は何歳になってもできます。

若いときだけではありません。

人生の後半に入ってからでもできます。

これまでの人生で失敗したとしてもできます。

「自分はもっとこうすればよかった」と後悔している人にもできます。

今日から誠実に生きよう。
今日から人を思いやろう。
今日から怒りに流されないようにしよう。
今日から正しいことを一つ選ぼう。

そう決めることができます。

だから、人格を練る人生には、定年がありません。

「正しく生きよう」と思うことそのものが、生涯にわたる自己教育の始まりなのです。

まとめ~人生に迷ったら、「本当に大切なもの」に戻ろう

人生を複雑に考えすぎて、頭の中がいっぱいになってしまうことがあります。

将来のこと。
お金のこと。
仕事のこと。
人間関係のこと。
自分の評価。
失敗への不安。
「こうしなければならない」という思い。

これらを全部、一度に解決しようとすると、心は疲れてしまいます。

そんなときこそ、アレンの言葉を思い出したいと思います。

 

「痛みを伴う混沌とした欲望や余計な考えを捨て、永続する本質的なものだけを大切にすることが、単純さへの道です。
では、人生における永続的なもの、本質的なものとは一体何なのでしょうか。
美徳のみが永遠であり、人格のみが本質的なものです。
余計なものから解放され、正しい理解を持って日々営めば、人生はとても単純なものになります。
よって、人生は、いくつかの簡単な、しかし実践することは困難な原理に集約することができます。
偉大な人物たちは、みなこうした単純な人生を送っているのです。」

 

単純さとは、人生からすべてを捨てることではありません。

「本当に大切なものを見つけ、それ以外のものに人生の中心を奪われないこと」

です。

そして、その大切なものとしてアレンが示しているのが、美徳と人格です。

慈悲。
仁。
愛。
誠実さ。
正直さ。
忍耐。
勇気。
思いやり。

こうしたものは、言葉だけなら簡単です。

しかし、自分の人格にするには時間がかかります。

だからこそ、そこには人生をかける価値があります。

今日、完璧になる必要はありません。

今日から少しずつでいい。

怒りそうになったら、一度待ってみる。

誰かに優しい言葉をかける。

間違えたら「ごめんなさい」と言う。

自分にできることを、静かに行う。

結果ばかりを追いかけるのではなく、正しい原因をつくる。

その一つひとつが、自分の人格をつくっていきます。

人生に迷ったとき、すべての答えを探さなくてもいいのです。

まず、
「私は、どんな人間として生きたいのか?」
と自分に問いかけてみる。

そして、
「その人間になるために、今日できることは何だろう?」
と考える。

この二つの問いだけでも、人生は少しずつ単純になります。

単純になるとは、問題がなくなることではありません。

迷ったときに戻れる軸ができることです。

そして、その軸に沿って生きるとき、心の力が一つの方向に集まります。

そこに、明確さが生まれる。
自由が生まれる。
静けさが生まれる。
そして、強さが生まれる。

人生は長い旅です。

美徳を一度身につけたら終わり、人格が完成したら終わり、というものではありません。

今日も学ぶ。
今日も選ぶ。
今日も少しだけ自分を練る。

その積み重ねそのものが、人生なのかもしれません。

人生を複雑に考えすぎて苦しくなったら、「何をすべて解決しなければならないのか」ではなく、「何を大切にして生きたいのか」に戻ってみる。

そのとき、たくさんの問題の向こう側に、一本のシンプルな道が見えてくるかもしれません。

「正しく生きよう」。

その一つの思いから、人生は何度でも立て直していくことができるのです。

 

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