アメリカで年配の方を対象にこんなアンケートがなされました。
「あなたの人生で後悔していることは何ですか?」
その回答で一番多かったのが、
「もっと色々なことにチャレンジすれば良かった」
だそうです。
それぞれの人がそれぞれの人生を生きている中で、失敗したことは、たくさんあったと思います。
それでも、晩年においては、失敗したことを後悔しているのではなく、色々なことにチャレンジしなかったことを後悔していると言うのです。
医療技術の発達により、私たちは人生100年時代を生きようとしています。「もういい加減安らかに眠らせておくれ」と思ったとしても、一昔前より、延命治療によって生存確率が飛躍的に大きくなっているのです。
私は死ぬ寸前まで、何かしらの善きものを、周囲にもたらす人間でありたいと強く願っています。
それが生涯現役で幸せな成功者として生きるということだと考えています。
たとえ、ベットで寝たきりになったとしても、周囲の方々に、ささやかであったとしても、善きものをもたらすために必要な心構えはなんだろうか、と考えたところ、その一つが「挑戦者の意識」「チャレンジ精神」であると思い至りました。
肉体の衰えや病気ゆえに周囲の方々の助けが必要になるのは、誰でも同じです。
よっぽど頭がおかしい状態でなければ、やむを得ない苦痛の中にある人を助けるのは、お互い様であると多くの人は分かっています。
その善意に対しては感謝の気持ちを示すだけでも、十分だと思います。
私が考えたのは、もし、十分以上の十二分の何かを、人の善意に応えたいと思ったとしたら、感謝の気持ちと何が必要だろうか、ということです。
その答えが上述のアンケートの中にある気がします。
そう、「挑戦する気持ち」です。
前向きに挑戦する気持ちのある方は明るいです。他の人に笑われても前向きに挑戦する意思があるから気にしません。小さな失敗をしても前向きに挑戦する意欲に満ちているから落ち込みすぎません。
昨日より一歩前進した今日の自分に意識をフォーカスできる人は明るいです。前向きに挑戦する気持ちのある人の放つ明るい言動自体が周りの人の気持ちを明るくしてくれます。
その生き様が周囲の方々の助けを必要とする状態にあっても、自分から感謝の気持ち以上の何かを差し出すことになると思います。
そして、この「挑戦する気持ち」を持ち続けるには「自分自身をどう認識するか」「自分の意識を何にフォーカスするか」が重要になってくると、自分自身を振り返って、しみじみ感じております。
「彼は自分のことをどろぼうに会ったあわれな犠牲者と考えるか、宝物を探し求める冒険者と考えるか、そのどちらかを選ばなくてはならないことに気がついた」
私が好きな小説「アルケミスト」(パウロ・コエーリョ著)の一文です。
つらい状況にある時に、自分自身をどうしようもない運命にもてあそばれた犠牲者と考えてしまうと不平不満だけが大きくなり、感謝の気持ちすら湧かないです。どんなに周りの方々が手を差し伸べてくれていても・・・。
しかし、被害者意識を捨て去り、自分自身を困難な状況に立ち向かっている挑戦者であるという自己認識を持っていると、ちょっとしたことでもありがたいことと感謝できて、前進する力が湧いてきます。
その自らの内面から湧き出る明るいエネルギーが、自分が意図することなく、他の方の気持ちを明るい気持ちにして、自分自身もさらに明るい気持ちで前向きになれるという循環があります。
何が起こるか分からない人生において、どんな状況下にあっても、生涯現役で幸せな成功を目指すのであれば、「挑戦者としての自己認識」が重要であると考える次第です。
お読み頂き、ありがとうございました。
引用元:
パウロ・コエーリョ著「アルケミスト 夢を旅した少年」(平成九年「株式会社 角川書店」発行)p.51