ジェームズ・アレンは語ります。
疑いや恐れといったものは、私たちを失敗へと導き、目標の達成を妨害します。・・・
目標を達成しようとする意志は「必ず達成できる」という信念から生まれるのです。・・・
恐れることなく目標と結びついた思いは創造のパワーとなります。
どんな年代にあっても、何かを志すことは誰にでも出来ます。しかし、三日坊主という言葉があるように、その志を持続することに困難を感じることが多いのも事実ではないでしょうか。
ジェームズ・アレンの言葉を繙きながら、幸せな成功への意欲を持続するために必要な「恐怖と疑いの克服」について、書き綴らせて頂きます。
目標達成の途上に現れる試練の意味
人はいくつになっても、自分の人生において、有意義な時間の使い方を求めるものです。自分自身が、心から価値があると思える何かをしたいという欲求は、ある意味、人間だからこそ発揮できる精神作用と言えます。
人間以外の生物には、自身の生存の本能と種の保存の本能にのみ基づく行動が主として見受けられますが、人はただ生存することのみを目的とするのではなく、何らかの価値を自分の人生で創造しようとする本能があるように思えます。そして、人間の持つ創造の本能は、人に目標を持って生きることを促(うなが)します。
人は目標を手にしたならば、まっすぐ、ひたすらに、その目標達成のために行動し続けなくてはなりません。その目標達成の途上で、あなたはいくつかの試練を受けていることに気づくでしょう。
それは、あなたがその目標達成にふさわしい人間であるかどうかを、この世界そのものが試していると同時に、あなた自身が自分自身を、その目標達成にふさわしいかどうかを確かめるためのものです。
その試練の多くは、あなた自身が目標達成に対して恐怖や疑いを抱いていないか、に関わっていることに気づきます。そして、疑いや恐れがあなたの中にあるうちは、あなたは自分の目標達成を妨害する数々の失敗・失意を経験することになります。
疑いや恐れは、いかなる目標の達成にも寄与しません。
恐怖や疑いが、「自分にはそれができる」という認識の最大の敵
小学生の頃の跳び箱を思い出してみましょう。
何段まで跳べるようになったかは人それぞれでしょうが、昨日跳べなかった高さを、今日は跳べたという時、それは、自分の中から、自分に跳べるだろうかという疑いと目の前にうず高く積み上げられた板の木目に突進することに対する恐れがなくなった瞬間だったはずです。
小学生の跳び箱でしたら、「あの子ができることなら自分にだってできるはず」という思いであったり、「跳び箱の向うの白いマットを見ろ」というクラスメイトや先生のアドバイスであったりが、あなたの中に蓄積されて、疑いと恐れがなくなった瞬間を味わえたと思うのです。
あなたが、あなた独自の幸せな成功を目指す時、あなた自身が「自分にはそれができる」という動機付けをしていかなくてはいけません。
あなた自身があなたの人生の作り手であるからこそ、今を生きるあなたのために、今も昔も未来も関係なくいつもあなたと共に存在する世界そのものと、すでにあなたの中に生まれている目標達成後のあなたが、今のあなたの中にある成功を妨げる恐怖と疑いの存在を教えようとしてくれます。
この世界とあなたが創造しようとする新しい自分自身は、恐怖や疑いが、「自分にはそれができる」という認識の最大の敵であるということを、あなたに教えようとするのです。
幸せな成功への意欲を持続するものは、確信
「自分にはそれができる」という願望実現の確信こそ、あなたの願望実現への意欲の持続と行動の持続を生み出します。
実際、あなたがどのような願望を抱き、どのような目標を掲げるかは、あなたの自由であり、その願望実現への意欲の持続と行動の持続を、完全にやめることができるのは、あなた自身だけです。
あなた自身が自分には出来ると確信し、そのための意欲を燃やし続ける時、目標達成前のあなたが抱く疑いや恐れが灰となり、願望実現のための行動を続けるその途上において、まばゆいばかりの輝きを放つ達成感が生まれるのです。
ジェームズ・アレンは語ります。
疑いや恐れといったものは、私たちを失敗へと導き、目標の達成を妨害します。・・・
目標を達成しようとする意志は「必ず達成できる」という信念から生まれるのです。・・・
恐れることなく目標と結びついた思いは創造のパワーとなります。
自らの幸せな成功を確信することです。そして、それを妨げている疑いや恐れを克服することが、不幸と失敗を超越することになります。
あなたが自分の中から一切の疑いと恐れを取り去った時、あなたはあらゆる困難に立ち向かいつつも、それらを賢く克服する力強い持続的なパワーに満ちている自分自身を発見することでしょう。
「原因と結果の法則」と、あなたの恐怖や疑いを取り去る方法
あなたが願望実現の途上で、恐怖や疑い、そして不安に囚われてしまい、願望実現のための意欲と行動の持続を諦めてしまいそうな時や、不幸と失敗に打ちのめされて「自分にはできる」という確信がなくなってしまいそうに感じる時は、「原因と結果の法則」を思い出して下さい。
あなたが原因に専念している時、恐怖や疑い、不安は生まれず、結果に専念している時に恐怖や疑い、不安が生じていることに気付くと思います。
跳び箱のたとえで言えば、跳び箱を跳べるという結果ではなく、跳び箱を跳べるための原因に意識を向けるということです。跳び箱を跳べるという結果に専念してしまっている時は、その結果を阻害する跳び箱の高さに必要以上の恐れを抱いてしまいます。しかし、「跳び箱の向う側の白いマットを見る」という結果をもたらす原因に専念すると、恐れは影を薄めます。
結果にばかり注意が向いてしまうと、今、現時点における自分自身の未熟さが際立ってしまい、疑いや恐れといった否定的な感情にパワーを与えてしまいます。
感情に支配されている状態が動物の本能のままに生きている姿であるとしたならば、価値ある何かを創造しようとする人間の本能は、感情を支配する状態を求めます。そして、感情を支配する状態を生み出すために、「原因と結果の法則」を知ることと、望む結果をもたらす原因に専念することが必要になるのです。
「原因と結果の法則」を知り、原因に専念することは、疑いや恐れを取り去ることに繋がると同時に、あらゆる困難に賢く立ち向かう力強い持続的なパワーを自ら生み出すことに繋がります。
恐怖や疑いの克服~試合であるかのように練習し、練習であるかのように試合に臨む
もし、あなたが自分自身の幸せな成功に対して疑いや恐怖を抱き、前進する意欲が弱くなっているのであれば、結果ではなく、原因に専念してみましょう。結果にこだわりすぎず、原因の方に注意を向けると、現時点における自分の未熟さは、望む結果を手にするために必要な原因を明らかにしてくれる材料となります。
スポーツの世界ではこんな言葉があると聞きました。
「試合であるかのように練習し、練習であるかのように試合に臨む」
この言葉は、結果を出すことを求められる試合において、選手が最高のパフォーマンスを引き出すために必要な心構えを表していると思うのですが、「原因と結果の法則」に合致していると私には思えます。
練習で求められるのは、試合で勝つための能力の向上という結果であるから、練習するための原因となる試合を意識の中に置いておく。そして、試合において求められるのは、まずは持ちうる最大の力を発揮するという結果であるから、その原因となる練習であるかのようなリラックス状態を大切にする。どちらも、原因に専念することによって感情をコントロールする指針を示していると言えるのではないでしょうか。
今まであなたが味わった痛みや苦しみは、練習中に負った擦り傷のようなものです。あなたに、試合であるかのように練習に向き合う姿勢があったからこその痛みであり、苦しみです。いざ、あなたがあなた自身にとっての幸せと成功を手にするチャンスの時に、疑いも恐れもなく、それを手にする瞬間のためにこそあったのです。
過去、味わった痛みや苦しみは、むしろ、あなたが疑いや恐れを克服して、生涯現役で幸せな成功者になる確信とパワーに満ちるためのものであると言えるのです。
まとめ
恐怖や疑いの克服が幸せな成功へのパワーを生むためには必要です。恐怖や疑いの克服には、「原因と結果の法則」の働きを知り、原因に専念することが有効です。原因に専念することが、あなたの幸せな成功への確信を持続的に強め、意欲的な行動の継続を生み出すと考えます。
私たちが恐怖や疑いを克服して、生涯現役で幸せな成功者になる確信とパワーに満ちることを強く願います。
お読みいただきありがとうございました。
引用元:
ジェームズ・アレン著「ジェームズ・アレン全一冊」(2015年「株式会社KADOKAWA」発行)p.24