ジェームズ・アレンは語ります。
悪を無視するだけでは不十分です。
まずこれを理解しなくてはなりません。
神に悪を取り除くよう祈っても意味がありません。
なぜ、そこに悪があるのか、そして、自分がそこから何を学ぶことができるのかを考える必要があります。
幸せも成功も、人との関わり合いの中で生まれ、不幸や失敗も、人との関わり合いの中で生じます。人として生きる以上、人との関わり合いを完全になくすことはできないでしょう。そして、人は善悪の問題に目を向けざる得ない状況を経験することになります。個人的な経験、あるいは、見聞きする社会問題などきっかけは人それぞれではありますが・・・。
「幸せな成功の途上に遭遇する悪への対処」をテーマにジェームズ・アレンの言葉と共に書き綴らせて頂きます。
幸せな成功の途上に遭遇する悪との対峙
幸せな成功を目指し、前進し続ける時、自分自身の内面にこそ幸せな成功の実現の鍵があるという学びは必然的なものです。その学びの過程で、人は善悪の問題に直面することになります。
あなたが心からの真心で良きものをもたらそうと他者に接したとしても、その真心が伝わらないという経験をすることもあるでしょう。
いわれなき批判や中傷にさらされ、自分だけならまだしも、あなたの身近にいる人にまで、その悪意に満ちた攻撃が及ぶこともあるでしょう。
あなたは戸惑います。
自分の内面をしっかりと幸せな成功にフォーカスして、幸せな成功者の思考や行動を学び実践し、確かな手応えを感じている中で、このまま何の問題もなくスーッと人生が進んでいくと思えたのに、なぜ、目の前に幸せと成功を乱す他者の言動が現れるのか、と。
しかも、それをする他者の言動は、どう考えても人間として許しがたい悪なるものであるという場合、優しく穏やかなあなたの心が怒りに満ちてしまうでしょう。
幸せな成功の途上に遭遇する悪との対峙は、古今東西、有名無名を問わず、幸せな成功者にとっては、ある意味、必然的な経験のように思えます。自分自身の内面にこそ幸せな成功の実現の鍵があるという学びが必然的なものであると同じく、悪との対峙が必然的なものであるというのは、人間の内面には、私たちにはまだ知らない世界が内包していることを示唆しているのかもしれません。
アンガーマネジメントを幸せな成功者から学んでみよう!
狡猾に計算された、ただ、あなたの心身を苦しめ痛めつけるためだけの言動・・・。
それが、もっともらしい理屈に裏付けられて、噂や陰口、悪口として他者に流される・・・。
幸せな成功の鍵は、自分自身の内面にこそあると学んでいるあなたは、自分の中に生まれた怒りを自分の未熟さゆえと考え、まずは自分自身こそを改めようとするのでしょう。
自分自身に対しても、近しい人にも、「自分にも悪いところがあった」と道理をわきまえた分別ある言葉を語りつつも、あなたは、自分の心の中の収まらない怒りを誰よりも自覚してしまい、なかなか心が晴れません。
こうした時に、どうすればいいか、どう考えればいいか、という具体的な方法に関しては、自分自身が参考にしている幸せな成功者や本などから学んだ方がいいでしょう。アンガーマネジメントとも言われますが、様々なテクニックはあるので、それらを取り入れるのは有効です。
私自身は、独りカラオケをしていましたね。この場合、アンガーマネジメントと言うより、単なるストレス発散というべきかもしれませんが(笑)
ところで、やり場のない怒りは、あなたの内面の成熟とあなたの意識の拡大の証でもあり、また、さらなる成熟と自己成長のための糧になる可能性が大きいのも事実です。未成熟な幼児が悪を認識することができないという厳然たる事実は、悪と対峙した時に覚える怒りは、あなたの人間としての成長を示している、と言ってもいいはずです。
悪は無視するだけでは不十分!?~サイコパスと呼ばれる人の存在
陰湿かつ狡猾な、あなたを不幸と失敗に引きずり込もうとする明確な悪意に対峙し戸惑うあなたに、ジェームズ・アレンは語ります。
悪を無視するだけでは不十分です。
まずこれを理解しなくてはなりません。
神に悪を取り除くよう祈っても意味がありません。
なぜ、そこに悪があるのか、そして、自分がそこから何を学ぶことができるのかを考える必要があります。
悪を無視するだけでは不十分です・・・どうか、ここを押さえて下さい。
あなたが善良でかつ成功への意欲に満ちて、自分の幸せのみならず、他者貢献、社会貢献の志がある人なら、理解しがたい悪意を前にした時、ただ己の未熟さのみを責め立てるという心的態度に陥ってしまうかもしれません。
「自分がそこから何を学ぶことができるのか」という思考を、ただ自分の未熟さ・至らなさのみに向けることは危険です。
サイコパスと呼ばれる人が社会には一定数存在すると言われています。良心を持たない、他人が苦しみ痛む姿を見ることが楽しくって仕方がない、という人間です。
誰にでも「他人の不幸は蜜の味」という感覚はあるものです。それを、多くの人は恥ずかしいことであると、自覚の有無を関わらず、感じているものです。しかし、サイコパスと呼ばれる人は少し違います。彼らは恥ずかしいことであるという感覚を持たず、他人の不幸こそが自分の幸せであると明確な意思を持っているのです。
サイコパスと呼ばれる人間の取る手段の一つに、善良な人間を、ただ己の未熟さ・至らなさのみを責め立てるという心的態度に追い込み、苦しめるというものがあるのです。
理解しがたい悪との遭遇が幸せな成功の途上で必然的に起きる理由
良心を持たないサイコパスと呼ばれるような人が存在することは悲しいことではありますが、それが現実です。そして、サイコパス予備軍と呼んでいいような人も存在しており、誰であっても、自分自身がそうした人間に成り下がる可能性があることも事実です。
私は思います。
なぜ幸せな成功を目指し、歩んでいる途上に理解しがたい悪と対峙することになるのか。
それは、まさにあなたを不幸と失敗に引きずり込むことこそが、彼らにとっての幸せであり、成功だからではないか、と。
彼らにとっての幸せや成功は、自分と同じような良心を持たず人を苦しめ痛めることにのみ喜びを覚える人間・仲間を増やすことにあるのではないか、と。
自らの内面の思考や願望が幸せな成功の鍵であり、幸せも成功も他者との関わり合いの中で生まれるという事実があり、この世界の全ての事象の因果関係を完全に把握できるわけでもない自分がいるということが、理解しがたい悪との遭遇が幸せな成功の途上で必然的に起きる理由のように思えます。
よって、幸せな成功を目指すあなたが、あらゆることを教訓とし、自己改善の意欲に満ちているのならば、次に大事になってくるのは、悪を無視するだけでは不十分であるという視点です。
幸せな成功の途上に遭遇する悪への対処
幸せな成功の途上において、理解しがたい悪との対峙を経験したならば、その対処を考えなければいけません。
「関わらない、近づかない、寄せ付けない」という明確な意思を持つことが、悪を無視するだけでは不十分であるということを理解している幸せな成功者の姿の一つです。
「ただ悪を無視すること」と「関わらない、近づかない、寄せ付けないという明確な意思を持つこと」は、似ているようで、違います。
悪を無視するだけでは不十分である理由は、サイコパスと呼ばれる人間は、善良な精神を持つ人の幸せの破壊、善良な精神を持つ人の成功の破壊を、自身の幸せ・成功とする意思を持って行動するからです。無視するだけで、彼らの意思を持った行動の影響を受けずに済むほど、甘くはないのです。
意思を持った行動の影響を相殺(そうさい)できるのは、同じく意思を持った行動です。無視をするという行動は、自らの主体的な意思の弱さゆえに、理解しがたい悪への対処法としては、不十分になるのです。
まず、「関わらない、近づかない、寄せ付けない」という主体的かつ明確な意思を強く固めることが、理解しがたい悪と対峙した時に、彼らの狡猾なやり口を見抜くこと、あるいは、感じることを可能とし、「以後関わらない」、「以後近づかない」、「以後寄せ付けない」という行動の選択に繋がります。
幸せな成功の途上に遭遇する悪への対処として、「関わらない、近づかない、寄せ付けない」という明確な意思を持つことが、まずは最初の一歩としてあるということを知って頂きたいと思います。
まとめ
ジェームズ・アレンの「悪を無視するだけでは不十分である」というメッセージと共に、「幸せな成功の途上に遭遇する悪への対処」をテーマに書き綴らせて頂きました。「万有引力の法則」が善人・悪人を問わず地球上に存在するすべての人間に働くのと同じく、「原因と結果の法則」も善人・悪人を選ばず働いています。
この世界の事象に働くすべての因果関係を、解き明かすことは出来ていない人間だからこそ、人は善悪の問題に目を向けざる得ない状況を経験すると言えます。
幸せな成功の途上にある全ての人が、その途上に遭遇する理解しがたい悪との対峙を乗り越えて、愛する人と共に幸せな成功を分かち合うことを、心から願います。
お読みいただき、ありがとうございました。
引用元:
ジェームズ・アレン著「ジェームズ・アレン全一冊」(2015年「株式会社KADOKAWA」発行)p.333