一生懸命に生きているのに、なぜか不安になる。
まじめに仕事をしている。
人にもできるだけ親切にしている。
自分なりに努力している。
それなのに、
「この先、どうなるのだろう」
「今の努力は本当に意味があるのだろうか」
「もし失敗したらどうしよう」
「大切なものを失ったらどうしよう」
そんな不安や恐怖が、心から離れてくれないことがあります。
不安や恐怖は、とても不思議なものです。
まだ何も起きていないのに、心の中では、まるですでに起きてしまったかのように苦しくなることがあります。
未来はまだ来ていません。
それなのに、私たちは未来の出来事を何度も頭の中で考え、自分を苦しめてしまいます。
では、どうすれば、この不安や恐怖から少しずつ自由になれるのでしょうか。
ジェームズ・アレンの言葉には、そのための大切な考え方があります。
アレンは、人生には「原因と結果の法則」があると考えました。
そして、その法則を知ることこそが、私たちが心から安らげる「確かな場所」になると語っています。
ここで大切なのは、
「結果は大いなる法則に委ねる。一方で、原因については、自分の責任として選ぶ」
という生き方です。
これは、「何もしなくていい」という考えではありません。
むしろ反対です。
自分にできることは、一生懸命に行う。
けれども、自分では決められない結果まで、何とかしようとして握りしめない。
そのとき私たちは、「自分一人ですべてを背負わなければならない」という苦しみから、少しずつ解放されていきます。
そしてその先には、自分を超えた大きなものとのつながりがあります。
今回は、ジェームズ・アレンの言葉を手がかりにしながら、不安や恐怖に苦しんでいる人へ、
「大いなるものとの一体感」という生きる指針をお伝えしたいと思います。
不安と恐怖は、「未来を自分で支配したい」という心から生まれる
不安や恐怖に苦しんでいるとき、私たちの心は未来へ飛んでいます。
「明日、悪いことが起きたらどうしよう」
「この仕事に失敗したらどうしよう」
「人から嫌われたらどうしよう」
「お金がなくなったらどうしよう」
「病気になったらどうしよう」
まだ起きていないことを、何度も考えています。
もちろん、将来のことを考えるのは悪いことではありません。
明日の準備をすることも大切です。
失敗しないように考えることも必要です。
しかし、問題は、「準備すること」と「未来を支配しようとすること」は違うということです。
私たちは、未来を完全にコントロールすることはできません。
どれだけ一生懸命に生きても、すべての出来事を自分の思い通りにすることはできないのです。
他人の心を自由に動かすこともできません。
社会の変化を止めることもできません。
明日、何が起こるかを完全に知ることもできません。
だからこそ、
「何が起きても困らないように、すべてを考えておかなければならない」
と思えば思うほど、心は疲れてしまいます。
ここで、原因と結果の法則という考え方が役に立ちます。
ジェームズ・アレンは、こう語ります。
「すべての結果には原因があります。
原因と結果は密接な関係にあり、そこに不正義が入り込む余地はありません。
人生に起きる様々な出来事のなかで、私たちが心から安らげる確かな場所は、この「数学的な正確さを備えた道徳的法則」なのです。」
この言葉を読むと、
「人生には、何の決まりもなく、すべてがめちゃくちゃに起きているわけではない」
という見方ができます。
自分が今日どんな思いを持つか。
どんな言葉を使うか。
どんな行動をするか。
どんな習慣を育てるか。
それらには意味があります。
すぐには結果が見えなくても、原因は少しずつ未来につながっていきます。
だから、未来を全部支配しようとしなくていいのです。
今日の自分にできることを、一つずつ選べばいい。
未来のすべてを心配するのではなく、今日の原因を整える。
ここに、不安から抜け出すための大切な入口があります。
「結果をつかむ」のではなく、「正しい原因」をつくる
私たちは、とても結果を欲しがります。
幸せになりたい。
成功したい。
安心したい。
認められたい。
失敗したくない。
苦しみたくない。
しかし、結果というものは、直接つかむことができません。
たとえば、「安心」という結果を手でつかむことはできません。
「幸せ」という結果を、今日すぐに手に入れることもできません。
では、どうすればいいのでしょうか。
結果ではなく、結果につながる原因に目を向けるのです。
不安なとき、
「どうすれば絶対に失敗しないだろう」
と考える代わりに、
「今日、自分にできる準備は何だろう」
と考えてみる。
人間関係が不安なら、
「相手に嫌われないためにはどうすればいいだろう」
と考え続けるのではなく、
「自分は今日、誠実に接することができるだろうか」
と考える。
仕事が不安なら、
「絶対に成功しなければ」
と自分を追い込むのではなく、
「今日、自分ができる仕事を丁寧にやろう」
と考える。
すると、心の向かう場所が変わります。
「まだ起きていない未来」から、
「今、自分ができること」へ戻ってくるのです。
これは、とても大きな違いです。
結果を直接つかもうとすると、心は焦ります。
しかし原因を整えることに集中すると、心は落ち着きます。
なぜなら、原因を選ぶことは、今の自分にもできるからです。
ここで大切なのが、
「原因については、自分の責任として選ぶ」
という考え方です。
「自分の責任」と聞くと、重く感じる人もいるでしょう。
しかし、本当は希望のある言葉です。
なぜなら、自分の原因を選べるということは、自分の人生に働きかける力が残されているということだからです。
昨日まで不安に負けていたとしても、今日から少し違う思いを選ぶことはできます。
昨日、誰かを責めてしまったとしても、今日は一度、相手の立場を考えることができます。
昨日、何もできなかったとしても、今日は小さな一歩を踏み出せます。
人生を変える力は、いつも「今日の選択」の中にあります。
「自分の内側」に目を向けることは、自分を責めることではない
ジェームズ・アレンは、もう一つ大切なことを語っています。
「人は、自分自身のせいで、自分のことについて苦しむのです。
原因は自分の外側にではなく、内側の心にあるのです。」
この言葉も、誤解してはいけません。
これは、
「苦しんでいる人は、全部その人が悪い」
という意味ではありません。
人生には、自分ではどうすることもできない苦しい出来事があります。
誰かに傷つけられることもあります。
突然、大きな問題に出会うこともあります。
ですから、「すべて自分が悪い」と考える必要はありません。
アレンが私たちに教えているのは、
「外側だけを変えようとするのではなく、自分の内側にも目を向けてみよう」
ということなのだと思います。
たとえば、誰かから批判されたとします。
その言葉自体は、相手が発したものです。
でも、その後、
「自分は何てダメなんだ」
「もう何もできない」
「みんな自分を嫌っている」
と考え続けるかどうかは、自分の心にも関係しています。
一つの出来事に対して、心の中で何度も悪い想像を重ねると、不安は大きくなります。
反対に、
「つらかった。でも、必要なところは直していこう」
「相手の言葉がすべて正しいわけではない」
「自分は自分のできることをやろう」
と考えることもできます。
つまり、出来事だけでなく、出来事に対してどんな心を育てるかが大切なのです。
だから「内側を見る」とは、自分を責めることではありません。
それは、
「自分には、心の持ち方を選び直す力がある」
と気づくことなのです。
そして、この気づきは、不安や恐怖に囚われている人にとって、大きな希望になります。
なぜなら、恐怖を完全になくすことができなくても、
「恐怖がある中で、どんな思いを選ぶか」
は、自分で練習できるからです。
自分でできることをしたら、結果を大いなるものに委ねる
ここまで来ると、最初の言葉がもっと深く理解できます。
「原因については、自分の責任として選ぶ。結果は大いなる法則に委ねる。」
これは、投げやりになることではありません。
「どうでもいい」と諦めることでもありません。
むしろ、できることを一生懸命にやるからこそ、最後に結果を手放すことができるのです。
植物の種をまくことを考えてみましょう。
種をまく。
水をやる。
太陽の光を当てる。
雑草を取る。
できることは一生懸命に行います。
しかし、
「明日の朝、必ず花を咲かせろ」
と命令することはできません。
花が咲く時期は、自分では決められないからです。
人生も同じです。
努力することはできます。
学ぶこともできます。
人に優しくすることもできます。
誠実に仕事をすることもできます。
自分の心を整えることもできます。
しかし、その結果がいつ現れるのか、どのような形で現れるのかまで、完全に支配することはできません。
だから、
「私は、私にできる原因をつくります。あとは、大いなる法則に委ねます」
という心が大切になります。
この心を持てるようになると、未来に対する恐怖が少しずつ変わってきます。
「何が起きるか分からない。だから怖い」
から、
「何が起きても、私は今日できることを選ぼう」
へと変わっていくのです。
これは、とても強い心です。
大いなるものとの一体感が、心の安らぎを生む
そして、ここからさらに深いところへ進むことができます。
原因と結果の法則を深く見つめていくと、
「自分は、すべてを自分一人の力で動かしているわけではない」
ということに気づきます。
私たちは自然の中に生きています。
季節は巡ります。
太陽は昇ります。
植物は育ちます。
人間は生まれ、成長し、年を重ねていきます。
そして、心の中に繰り返し抱いた思いは、やがて習慣となり、人格となり、人生の方向をつくっていきます。
そこには、自分の小さな力を超えた大きな秩序があります。
私たちは、その秩序の外にいるのではありません。
私たち自身が、その大きな秩序の中で生きているのです。
この感覚が深まってくると、
「自分一人で全部を何とかしなければならない」
という思いが少しずつ弱くなります。
そして、
「私は大きなものの中にいる」
「私の人生にも法則が働いている」
「私が正しい原因を選び続けるなら、その行いには意味がある」
と感じられるようになります。
これが、ここでいう「大いなるものとの一体感」です。
それは、特別な人だけが感じられるものではありません。
毎日の小さな生活の中でも感じることができます。
朝、目を覚ましたとき、
「今日も自分にできることをやろう」
と思う。
誰かに嫌なことを言われたとき、
「怒りに負けるのではなく、穏やかな心を選ぼう」
と思う。
努力しているのに結果が出ないとき、
「結果だけを見ないで、今、自分がまいている種を大切にしよう」
と思う。
将来が怖くなったとき、
「私はすべてを支配しなくていい。できることをしたら、大きな流れに委ねよう」
と思う。
こうした小さな心の選択が、やがて大きな安心につながっていきます。
そして、もしかすると「悟る」ということも、特別な何かを手に入れることではないのかもしれません。
「自分は孤立した存在ではない。大きな法則の中で生きている」
と、少しずつ分かっていくこと。
「自分は結果をすべて支配しなくていい。正しい原因を選ぶことに力を注げばいい」
と分かっていくこと。
その理解が深まったとき、心は静かになります。
人生には、苦しいことがあります。
不安になる日もあります。
恐怖に襲われる夜もあるでしょう。
それでも、その奥には、
「自分の今日の思いと行動には意味がある」
という確かな感覚があります。
そして、自分を超えた大きな法則の中で生きているという感覚があります。
そのとき私たちは、未来を完全に知る必要がなくなります。
すべてをコントロールする必要もなくなります。
ただ今日、
「私は、どんな原因を選ぶのか」
を考えればいい。
そして、できることをしたなら、
「あとは大いなるものに委ねよう」
と、静かに手を放せばいいのです。
まとめ
一生懸命に生きているのに、不安や恐怖から逃れられない。
そんなとき、私たちは「もっと頑張らなければ」と考えてしまいます。
しかし、必要なのは、さらに自分を追い込むことではないのかもしれません。
大切なのは、
結果を直接つかもうとするのではなく、原因を整えること。
今日、自分にできる正しいことを選ぶこと。
そして、自分では決められない結果については、大いなる法則に委ねることです。
ジェームズ・アレンが語った「原因と結果の法則」は、私たちを責めるための冷たい法則ではありません。
それは、
「あなたの今日の思いと行動には意味があります」
という希望の法則でもあります。
今の結果が思うようになっていなくても、今日から違う種をまくことはできます。
今、不安に苦しんでいても、今日一つだけ穏やかな思いを選ぶことはできます。
今、未来が怖くても、今日やるべきことを一つ丁寧に行うことはできます。
そして、それ以上のことまで背負う必要はありません。
私たちは、人生のすべてを支配する存在ではないからです。
私たちは、もっと大きなものの中に生きています。
自然の中に生き、時間の中に生き、原因と結果の法則の中に生きています。
だからこそ、
「自分の責任として原因を選び、結果は大いなるものに委ねる」
という生き方ができます。
不安になったときは、未来を何度も想像するのではなく、自分の足元を見てみましょう。
「今日、私はどんな種をまこうか」
そう問いかけてみてください。
そして、できることを一生懸命に行ったなら、
「あとは大いなる法則に任せよう」
と、心の中で静かに言ってみてください。
そのとき、恐怖に支配されていた心に、ほんの少し空間が生まれるかもしれません。
その空間こそが、心の安らぎへの入口です。
そしていつか、
「私は一人で人生を背負っているのではない。私は大いなるものの中で生きている」
という感覚が、静かな確信として心に根づいていくのではないでしょうか。