誰かにひどいことをされた。
何度思い出しても腹が立つ。
「あの人だけは許せない」と思ってしまう。
そして、そんな自分の心に気づいたとき、
「こんなに人を憎んでいる自分が嫌だ」
と思うことがあります。
本当は、穏やかに生きたい。
できれば、人を恨みたくない。
仕返しなんてしたくない。
それなのに、心の中では何度も同じ出来事を思い出してしまう。
「あのとき、こう言えばよかった」
「どうして自分ばかり、こんな目に遭わなければならないのか」
「相手にも同じ苦しみを味わってほしい」
そんな思いが、頭から離れないこともあります。
では、どうすれば憎しみから自由になれるのでしょうか。
ジェームズ・アレンは、心の中にある憎しみや自己中心的な思いについて、次のように語っています。
「心のなかに悪意、嫌悪、恨み、復讐心、あるいは「(自分の考えでは)私は正しく、あなたは間違っている」というような盲目的なエゴがある限りは、精神的なことがらや真理を手にすることはできません。
「敵を愛しなさい」という掟を守るためには、心のなかからあらゆる憎しみと自己中心的な考えを取り除かなくてはならないのです。
そして、これが達成されてようやく、神聖な愛の法則が、正しい人にもそうでない人にも、罪深い人にも気高い人にも、同じように意識のなかに行き渡るのです。」
この言葉は、一見すると、とても厳しく感じるかもしれません。
「憎しみをなくさなければならない」
「人を愛さなければならない」
と言われているように見えるからです。
しかし、私はこの言葉を、もっとやさしい意味で受け取ることができると思います。
それは、
「憎しみを抱えている自分を責めるのではなく、少しずつ、その憎しみから自分自身を自由にしていこう」
というメッセージです。
この記事では、なぜ憎しみが心を苦しめるのか。そして、どうすれば少しずつ憎しみを手放し、
心の自由を取り戻していけるのかを考えてみます。
人を憎むことが苦しいのは、自分の心まで縛ってしまうから
誰かを憎んでいるとき、私たちは「相手が悪いから、自分が苦しんでいる」と考えます。
もちろん、本当に相手から傷つけられたのかもしれません。
嫌なことを言われた。
裏切られた。
だまされた。
大切なものを奪われた。
そうした経験によって傷つくのは、自然なことです。
だから、
「傷ついた自分が悪い」
と思う必要はありません。
怒りや悲しみを感じることも、人間として自然なことです。
ただ、その感情を長い間握りしめ続けると、別の問題が起こります。
相手のことを何度も考えてしまう。
相手の言葉を何度も思い出す。
「許せない」と何度も心の中で繰り返す。
すると、相手が目の前にいなくても、その人が自分の心の中に居続けることになります。
相手は自分の生活をしているのに、自分だけがその人との出来事を何度も繰り返している。
これは、とても苦しいことです。
だから、憎しみを手放すということは、
相手のためだけにすることではありません。
自分自身のためでもあります。
「もう、この人に自分の心を支配させない」
と決めることなのです。
「私は正しい、あなたは間違っている」という心を少しゆるめる
アレンの言葉の中で、特に考えさせられるのが、
「私は正しく、あなたは間違っている」
という部分です。
これは、意見を持ってはいけないという意味ではありません。
世の中には、本当に間違っていることもあります。
誰かからひどいことをされたなら、
「それは間違っている」
と言っていいのです。
自分を守るために、その人から離れることも必要です。
問題は、
「相手が間違っている。だから私は相手を憎んでいい」
となってしまうことです。
ここには、二つの問題が混ざっています。
一つは、相手の行動についての判断。
もう一つは、自分の心に何を持つかという問題です。
この二つは別です。
「その行動は間違っている」
と思いながら、
「でも、私はこの人を憎み続ける人生は選びたくない」
と考えることはできます。
相手の行動を正しいことにする必要はありません。
相手を好きになる必要もありません。
ただ、
「相手への憎しみを、自分の心の中で育て続けることはやめよう」
と決めることができます。
ここに、心の自由への大切な一歩があります。
憎しみをなくす第一歩は、「憎んでいる自分」に気づくこと
では、具体的に何をしたらいいのでしょうか。
最初から「相手を愛そう」としなくても大丈夫です。
まずは、自分の心に気づいてみましょう。
「あの人を憎んでいる」
「仕返ししたいと思っている」
「相手が不幸になればいいと思っている」
「自分のほうが正しいと思っている」
そういう気持ちがあることを、静かに認めます。
ここで大切なのは、自分を責めないことです。
「こんなことを思う自分は最低だ」
と自分を攻撃すると、心の中にまた別の苦しみが生まれます。
そうではなく、
「今の私は、とても傷ついているんだな」
「だから、こんなに腹が立っているんだな」
と、自分の心を少し離れたところから見てみるのです。
これは、簡単なことのようで、とても大切な練習です。
感情に気づくことと、感情のまま行動することは違います。
怒ってもいい。
悲しくてもいい。
悔しくてもいい。
でも、その感情にそのまま従わなくてもいい。
「腹が立っている。でも、今は言い返さない」
「仕返ししたい。でも、仕返しはしない」
という選択ができます。
その一瞬の間に、自由があります。
ここまで読んで、
「でも、そんな簡単に憎しみを手放せるものではない」
と思う方もいるでしょう。
その通りだと思います。
長い間抱えてきた憎しみを、一度考え方を変えただけで消すことは難しいものです。
だからこそ、アレンの言葉を「一度で達成しなければならない目標」として読むのではなく、
人生をかけて心を育てていくための道しるべとして受け取ってみたいのです。
「敵を愛する」とは、相手の悪い行いまで許すことではない
ジェームズ・アレンの言葉には、
「敵を愛しなさい」
という言葉が出てきます。
この言葉を読むと、
「嫌なことをされた相手まで、好きにならなければいけないの?」
と思うかもしれません。
でも、私はそう考えなくてもいいと思います。
誰かから傷つけられたとき、
「それは嫌だった」
「その行動は間違っている」
と言っていいのです。
相手と距離を置くことも、自分を守ることも必要です。
「愛する」ということは、相手の行動を何でも認めることではありません。
むしろ、ここで大切なのは、
「相手の悪い行いを悪いと判断しながら、その人への憎しみに自分の心まで支配させない」
ということではないでしょうか。
たとえば、
「あの人には苦しんでほしい」
と思っていたとしても、
「でも、私はそんな気持ちをずっと持ち続ける人生は嫌だ」
と考えることができます。
「あの人は間違っている」
と思っていても、
「だからといって、私まで憎しみの人間になる必要はない」
と考えることができます。
これが、「敵を愛する」という言葉を、日常生活の中で実践する一つの方法だと思います。
憎しみから自由になるために、「私はどんな人間でありたいか」を選ぶ
憎しみを抱えているとき、私たちの意識は、
「相手が何をしたか」
に集中しています。
「あの人に何をされたか」
「なぜあんなことをされたのか」
「どうして自分だけが苦しまなければならないのか」
ということばかりを考えてしまいます。
もちろん、傷ついた出来事を整理することは必要です。
でも、それだけを考え続けていると、自分の人生の中心が「相手」になってしまいます。
そこで、一つ質問してみてください。
「私は、この出来事によって、どんな人間になりたいのだろう?」
これは、とても大きな質問です。
相手に傷つけられた。
だから、自分も人を傷つける人間になるのか。
それとも、
「私は、人から傷つけられても、人を傷つける人間にはなりたくない」
と決めるのか。
相手が冷たかった。
だから、自分も冷たい人間になるのか。
それとも、
「私は、できるだけ人にやさしくできる人間でいたい」
と決めるのか。
ここで、人生の方向が変わります。
相手が何をしたかは、もう変えられません。
しかし、その出来事を受けた自分が、これからどんな人間になるかは選ぶことができます。
これは、心の自由を取り戻すための、とても大切な考え方です。
憎しみを手放すための小さな実践
では、毎日の生活で何をしたらいいのでしょうか。
難しい修行をする必要はありません。
まずは、小さなことから始めてみましょう。
① 怒ったら、すぐに反応しない
腹が立ったときは、すぐに言い返したり、メールを送ったりしない。
一度、深呼吸する。
その場を離れる。
「今、自分は怒っている」と気づく。
それだけでも十分です。
感情と行動の間に、一つの小さな空間を作るのです。
その空間が、心の自由になります。
② 「私は正しい」と思ったとき、一度だけ立ち止まる
「絶対に自分が正しい」
と思ったとき、
「本当に全部見えているだろうか?」
と自分に聞いてみる。
自分の考えを捨てる必要はありません。
ただ、心を少し開いておく。
それだけで、相手を決めつける気持ちが弱くなることがあります。
③ 相手を「悪い人」だけで終わらせない
「あの人は嫌な人だ」
と思ったとき、
「でも、この人にも、この人なりの事情があるのかもしれない」
と考えてみる。
相手の行為を許す必要はありません。
ただ、相手を一人の人間として見る。
それによって、憎しみが少しやわらぐことがあります。
④ 仕返しをしない
「相手にも同じ苦しみを味わわせたい」
と思ったとき、
「私は、この怒りを次の怒りにつなげない」
と決める。
仕返しをしないことは、負けることではありません。
憎しみを自分のところで終わらせることです。
⑤ 一日に一つ、愛の行動をする
誰かに「ありがとう」と言う。
困っている人を助ける。
家族にやさしい言葉をかける。
人の話を最後まで聞く
悪口を一つ言わない。
そんな小さなことでいいのです。
愛は、特別な感情だけではありません。
毎日の小さな行動によって、少しずつ育てていくことができます。
「神聖な愛の法則が意識に行き渡る」とは何か
アレンは、
「神聖な愛の法則が、正しい人にもそうでない人にも、罪深い人にも気高い人にも、同じように意識のなかに行き渡る」
と語っています。
これは、とても深い言葉です。
簡単に言えば、
「自分の好き嫌いや損得だけを中心にして世界を見るのではなく、愛や思いやり、調和を心の土台にして生きられるようになる」
ということではないでしょうか。
たとえば、誰かに嫌なことをされたとき。
以前なら、
「仕返ししてやりたい」
と思った。
でも、心を育てていくうちに、
「この人の行動は間違っている。でも、私はこの人を憎み続ける必要はない」
と思えるようになる。
誰かと意見が違ったとき、
「自分が正しい。相手は間違っている」
だけで終わらず、
「私はこう思う。でも、相手には相手の考えがある」
と考えられるようになる。
自分が損をしたときも、
「自分さえよければいい」
ではなく、
「相手にとってはどうなのだろう」
と考えられるようになる。
このように、少しずつ心の中心が変わっていく。
それが、「愛の法則が意識に行き渡る」ということなのだと思います。
愛が、単なる知識ではなく、物事を見るときの土台になるのです。
憎しみを手放すことは、自分を弱くすることではない
ここで、もう一つ大切なことがあります。
「憎しみを手放したら、相手に負けるのではないか」
と思う人もいるでしょう。
しかし、本当は反対かもしれません。
怒りに任せて行動することは、簡単です。
嫌なことを言われたら言い返す。
傷つけられたら傷つけ返す。
悪口を言われたら、こちらも悪口を言う。
これは、相手の行動によって、自分の行動まで決められている状態です。
一方で、
「私は怒っている。でも、どう行動するかは自分で決める」
と言える人は、自分の心を自分で扱っています。
これは、弱さではありません。
自分の心の舵を自分で握る力です。
怒りがあるからこそ、怒りに従わない。
憎しみがあるからこそ、憎しみを育てない。
仕返ししたいからこそ、別の道を選ぶ。
そこには、大きな心の力があります。
憎しみをなくすことは、一日で完成しない
とはいっても、長い間抱えてきた憎しみが、一日で消えるわけではありません。
何年も前の出来事を思い出して、また腹が立つこともあるでしょう。
「あの人を許したつもりだったのに、まだ許せない」
と思う日もあるでしょう。
そんなときも、自分を責めなくていいのです。
大切なのは、
昨日より少しだけ、憎しみに支配されない自分を選ぶこと。
今日は悪口を言わなかった。
今日は仕返しをしなかった。
今日は相手のことを考える時間を少し減らせた。
今日は「自分にも間違いがあるかもしれない」と考えられた。
それでいいのです。
心の成長は、小さな変化の積み重ねです。
まとめ~憎しみを手放すことは、愛を選ぶ練習
誰かを憎んでいる自分が嫌になったとき、
「こんな自分はダメだ」
と責める必要はありません。
まず、
「私は今、傷ついている」
「私は今、この人を憎んでいる」
と気づいてあげる。
そして、感情のまま行動するのではなく、一度立ち止まる。
「相手が間違っている」と思っても、
「だから憎み続けなければならないわけではない」
と考える。
「私は正しい」と思ったときも、
「自分にも見えていないものがあるかもしれない」
と心を少し開く。
そして、
「この出来事に対して、私はどんな人間でありたいのか」
を考える。
ここから、憎しみから自由になる道が始まります。
ジェームズ・アレンが語る「敵を愛する」という教えは、嫌いな人を無理に好きになることではないのかもしれません。
相手の悪い行いまで認めることでもありません。
そうではなく、
「相手が何をしたとしても、自分の心まで憎しみに明け渡さない」
という生き方なのだと思います。
そして、憎しみや自己中心的な思いを少しずつ手放していくと、心の中に別のものが育ってきます。
理解する力。
思いやる力。
許す力。
自分を抑える力。
人を大切にする力。
そして、自分の小さな損得を超えて、もっと大きなものを見る力。
アレンのいう「神聖な愛の法則」が意識に行き渡るとは、そういうことなのではないでしょうか。
愛は、最初から完成されたものではありません。
毎日の小さな選択によって育てていくものです。
だから、今日からでも遅くありません。
憎しみを感じたら、一度立ち止まる。
仕返ししたくなったら、仕返しをしない。
「自分が正しい」と思ったら、少しだけ心を開く。
そして、
「私は、憎しみに支配される人間ではなく、愛を選べる人間として生きたい」
と、自分に言ってみる。
その一歩一歩が、心を自由にしていきます。
人生は、いつからでも心を育て直すことができます。
何歳になっても、人を憎むことを一つ減らし、愛することを一つ増やすことはできます。
そう考えるなら、心を育てることに定年はありません。
「生涯現役」とは、外で働き続けることだけではなく、生涯をかけて自分の心をより良い方向へ育て続けることでもあるのです。
そして、もし今あなたが、
「誰かを憎んでいる自分が嫌だ」
と感じているのなら、その苦しみに気づいたこと自体が、すでに一つの始まりなのかもしれません。
憎しみを持ってしまった自分を責めるのではなく、
「これからは、どんな心で生きたいだろう?」
と、自分に問いかけてみてください。
その問いから、少しずつ新しい生き方が始まっていくのだと思います。