ニュースを見れば、国と国が争っています。
身近なところでも、人と人が言い争っています。
自分の考えを押し通そうとする人。
相手を責める人。
自分だけが正しいと思っている人。
お金や地位をめぐって争う人。
「どうして人間は、こんなに争いばかり繰り返すのだろう」
そんなことを考えて、疲れてしまうことはないでしょうか。
争いを見ていると、
「人間なんて、結局は自分のことしか考えていないのではないか」
「人間社会に、本当に平和なんてあるのだろうか」
「正しく生きたところで、何の意味があるのだろう」
そんなふうに、希望を失いそうになることもあります。
けれども、ジェームズ・アレンは、人間についてまったく違う見方をしています。
人間の表面だけを見ると、争い、欲望、怒り、憎しみが見えます。
しかし、そのもっと奥にある「魂」に目を向けると、そこには一つの共通した願いがあるというのです。
それが、「正義を求める心」です。
アレンは、次のように語っています。
「すべての魂は、意識的にせよ無意識的にせよ、正義を求めています。
そして、それぞれの方法で、それぞれの知識にしたがって、人はみなその渇望を満たそうとします。
渇望も一つ、正義も一つです。
しかし正義の道はいくつもあります。」
さらに、こう続けます。
「要するに、魂の大いなる欲求とは、正義と呼ばれる永遠の原理への欲求なのです。
この原理が実現されたところに、天の王国があるのです。
天の王国は、魂の永遠の住処であり、あらゆる永遠の恩恵の源であり宝庫なのです。」
この言葉を読むと、争いだらけに見える人間社会を、少し違った角度から見ることができます。
もしかすると、人間は本当にバラバラなのではない。
その奥では、同じものを求めているのかもしれない。
今日は、この言葉を一緒に考えてみたいと思います。
争いだらけの社会でも、人間の心の奥には「正しくありたい」という願いがある
私たちは、人間の悪いところを見ると、すぐに人間全体を悪く考えてしまいます。
争いを見る。
憎しみを見る。
だましたり、傷つけたりする行動を見る。
すると、
「人間は争う生き物だ」
「人間は自分勝手なものだ」
と思ってしまいます。
もちろん、人間にはそういう弱さがあります。
怒ることもあります。
欲張ることもあります。
人をうらやむこともあります。
自分を守るために、相手を攻撃してしまうこともあります。
だから、争いがなくならないことも事実です。
しかし、アレンは「人間には悪いところがある」という表面だけで、人間を判断していません。
もっと深いところにある「魂」を見ています。
そして、
「すべての魂は、正義を求めています」
と言うのです。
これは、とても大きな希望ではないでしょうか。
たとえば、何か悪いことをしてしまった人でも、
「本当は、こんなことをしたくなかった」
と思うことがあります。
人を傷つけてしまったあと、
「悪かった」
と反省することがあります。
誰かに親切にして、
「よかった」
と心が温かくなることもあります。
自分だけ得をするより、
「困っている人を助けたい」
と思うこともあります。
つまり、人間の心には、
「本当はこうありたい」
という思いがあるのです。
その思いを、アレンは「正義を求める心」と呼んでいるのだと思います。
「正義の道はいくつもある」~宗教や思想が違っても、求めるものには共通点がある
ここで、アレンの言葉の中でも特に興味深い一文があります。
「渇望も一つ、正義も一つです。しかし正義の道はいくつもあります。」
これは、どういう意味でしょうか。
私たちの世界には、たくさんの宗教があります。
たくさんの哲学があります。
いろいろな思想や人生観があります。
「人はどう生きるべきか」
「何が正しいのか」
「どうすれば幸せになれるのか」
について、人類は長い間、考え続けてきました。
そして、それぞれの人が、それぞれの答えを持っています。
ある人は、神を信じます。
ある人は、仏の教えを大切にします。
ある人は、真理を求めます。
ある人は、愛することを一番大切にします。
ある人は、人の役に立つことを大切にします。
ある人は、自分自身をきびしく律することを大切にします。
このように、「正しく生きる道」は一つではありません。
だからアレンは、
「正義の道はいくつもあります」
と言っているのでしょう。
これは、
「すべての宗教や思想は、まったく同じものだ」
という意味ではないと思います。
それぞれの教えには、それぞれの大切な考え方があります。
ただ、その違いの奥に、
「人間は、より正しいもの、より善いものを求めている」
という共通した願いを見ることができるのです。
山に登ることを考えてみましょう。
山には、いくつもの登り道があります。
東から登る人もいれば、西から登る人もいます。
ゆっくり歩く人もいれば、早く登る人もいます。
道によって、見える景色も違います。
でも、目指している方向には共通点があります。
人間の「正義への道」も、それと似ているのかもしれません。
道は違っても、「より良く生きたい」という願いは共通している。
そう考えると、自分と違う考え方を持つ人を見る目も変わってきます。
「なぜ、あの人は自分と違うのだろう」
と考えるだけではなく、
「この人も、この人なりに正しいものを求めているのかもしれない」
と考えることができるからです。
もちろん、すべての考えや行動を正しいと認める必要はありません。
人を傷つけることや、だますことが正しいわけではありません。
しかし、相手を最初から「悪い人」と決めつけるのではなく、
「この人も、自分の持っている知識の中で何かを求めているのではないか」
と見ることはできます。
アレンが、
「それぞれの方法で、それぞれの知識にしたがって」
と言っているのは、まさにこの部分なのではないでしょうか。
人間は、今持っている知識の中で「これが正しい」と思って生きています。
でも、その知識は完全ではありません。
若いころに正しいと思っていたことが、年齢を重ねると間違っていたと気づくことがあります。
自分では親切のつもりだったのに、相手を傷つけていたことに気づくこともあります。
「成功すれば幸せになれる」と思っていたけれど、成功しても心が満たされなかったと気づく人もいます。
だから、人間は学び続ける必要があります。
そして、
「自分は本当に正しいのだろうか」
と、自分の心を見つめることが大切なのです。
「正義」を求めることは、完璧な人間になることではない
ここで、
「正義を求めるのなら、いつも正しい人間にならなければならないのでは?」
と思うかもしれません。
でも、そんなことはありません。
人間は、完璧ではないからです。
怒ることもあります。
失敗することもあります。
人をうらやむこともあります。
自分のことばかり考えてしまう日もあります。
「正しく生きよう」と思っていたのに、弱い自分に負けてしまうこともあります。
それでもいいのです。
大切なのは、
「自分は今、どちらの方向を向いているのか」
です。
間違えたら、気づけばいい。
人を傷つけたら、謝ればいい。
自分勝手だったと気づいたら、少しずつ直していけばいい。
昨日より今日、今日より明日。
ほんの少しでも、正しい方向へ進んでいけばいいのです。
「正しく生きる」とは、最初から完璧な人になることではありません。
むしろ、
弱さを持った自分を知りながら、それでも善い方向を選び続けること
なのだと思います。
そして、この考え方には、とても大きな希望があります。
なぜなら、年齢に関係がないからです。
若い人だけが、自分を変えられるのではありません。
人生の後半に入ってからでも、
「これからは、もう少し誠実に生きよう」
と思うことができます。
今まで人を責めてきた人でも、
「これからは、まず自分の心を見てみよう」
と変えることができます。
今まで自分を大切にできなかった人でも、
「自分にも、善く生きる力がある」
と信じることができます。
つまり、
「正しく生きよう」という心を持つことに、遅すぎるということはないのです。
争いの多い社会を見て失望したとしても、自分の心まで争いに渡してしまう必要はありません。
世の中が乱れているからといって、
「自分も乱れて生きるしかない」
とは限らないのです。
むしろ、そんな時代だからこそ、
自分の中に正しさを育てることに意味がある。
アレンの言葉は、そんなふうにも読めるのではないでしょうか。
「永遠の原理」とは、時代が変わっても価値を失わないもの
ここまで、アレンのいう「正義の道はいくつもある」という言葉を見てきました。
人間は、それぞれ違う道を歩いています。
宗教も違います。
思想も違います。
人生の目標も違います。
育った環境も違います。
持っている知識も違います。
それでも、その奥には、
「正しく生きたい」
という共通した願いがある。
アレンは、それをさらに深く掘り下げて、
「要するに、魂の大いなる欲求とは、正義と呼ばれる永遠の原理への欲求なのです。」
と言っています。
ここで出てくる「永遠」という言葉は、とても大切です。
私たちが普段考える「永遠」は、
「いつまでも時間が続くこと」
という意味です。
100年続く。
1000年続く。
その先もずっと続く。
そんなイメージです。
しかし、アレンのいう「永遠」は、それだけではないように思います。
むしろ、
「時間が流れても、時代が変わっても、価値を失わないもの」
という意味で考えると、分かりやすくなります。
たとえば、誠実さ。
昔も誠実であることには価値がありました。
今も価値があります。
これから時代が変わっても、誠実さは大切でしょう。
人を愛することもそうです。
思いやりもそうです。
真実を大切にすることもそうです。
悪いことをしてしまったら、反省して正そうとすることもそうです。
このようなものは、流行のように古くなって消えていくものではありません。
人間の生活がどれだけ変わっても、
「善くありたい」という願いそのものはなくなりません。
これが、アレンのいう「永遠の原理」の一つの意味なのではないでしょうか。
変わるものだけを見ていると、希望を失ってしまう
私たちの人生には、変わるものがたくさんあります。
若さも変わります。
仕事も変わります。
お金も変わります。
人間関係も変わります。
社会のルールも変わります。
自分の体も変わっていきます。
昨日まで当たり前だったものが、今日はなくなっていることもあります。
だから、変化するものだけを人生の土台にすると、不安になりやすいのです。
「これを失ったらどうしよう」
「今の生活がなくなったらどうしよう」
「年を取ったら何もできなくなるのではないか」
そんな心配が出てきます。
ところが、アレンは私たちに、
変化するものの奥にある、変わらない価値を見ること
を教えているように思います。
たとえ社会が大きく変わっても、
「人を大切にする」
「誠実に生きる」
「正しいことを選ぶ」
「愛する」
「思いやりを持つ」
という生き方の価値は変わりません。
だから、社会がどれほど不安定でも、
自分の人生まで不安定にする必要はない。
そう考えることができます。
「天の王国」は、遠い場所ではなく、正しい心が実現したところ
アレンは、さらにこう言います。
「この原理が実現されたところに、天の王国があるのです。
天の王国は、魂の永遠の住処であり、あらゆる永遠の恩恵の源であり宝庫なのです。」
「天の王国」と聞くと、
「死んだ後に行く場所なのかな?」
と考える人もいるでしょう。
もちろん、アレンが霊的な意味でそのような世界を考えていた可能性はあります。
しかし、この言葉を私たちの今の人生に置き換えて考えることもできます。
それは、
「正義という永遠の原理が、自分の心や生き方に実現している状態」
です。
たとえば、人に怒りをぶつけるのではなく、落ち着いて話す。
自分が得をするために人をだますのではなく、正直でいる。
人の失敗を笑うのではなく、助ける。
誰も見ていないところでも、悪いことをしない。
自分の欲望だけを優先するのではなく、相手の立場も考える。
間違えたときには、「自分は悪くない」と言い訳するのではなく、
「間違っていました」
と言える。
こうした小さな選択が積み重なって、心の中に一つの世界ができていきます。
その世界は、外の社会が争っていても、同じように争う必要はありません。
外の世界が怒りに満ちていても、自分まで怒りでいっぱいになる必要はありません。
外の世界に憎しみがあっても、自分の中に愛を育てることはできます。
これが、
「天の王国は、心の中から始まる」
という考え方につながるのではないでしょうか。
「永遠の恩恵」とは、心の中に育つ本当の宝
では、
「あらゆる永遠の恩恵の源であり宝庫」
とは、何でしょうか。
ここでいう「宝」は、金や土地や家のようなものだけではありません。
もちろん、お金も人生には必要です。
豊かに生きることを否定する必要もありません。
けれども、お金だけでは買えないものがあります。
それが、
心の平安です。
そして、
愛です。
誠実さです。
勇気です。
知恵です。
思いやりです。
自分をコントロールする力です。
これらは、外から与えてもらうだけのものではありません。
自分の毎日の選択によって、少しずつ育てることができます。
たとえば、怒りそうになったときに、一度黙ってみる。
人を責めたくなったときに、
「自分にも悪かったところはなかっただろうか」
と考えてみる。
誰かが困っていたら、できる範囲で助ける。
間違ったら、素直に謝る。
誰にも見られていなくても、正しいことをする。
こうした小さな行動は、すぐに大きな結果を生まないかもしれません。
しかし、それを繰り返すことで、
「正しいことを選べる自分」
が少しずつ育っていきます。
これこそが、失われにくい宝なのです。
争いだらけの社会だからこそ、自分の中に「平和」をつくる
では、社会の争いを見て、
「人間社会にはもう希望がない」
と思っている人は、どうすればいいのでしょうか。
まず、社会全体を一人で変えようとしなくてもいいのです。
世界中の争いを、自分一人で止めることはできません。
他人の考えを、全部変えることもできません。
他人が怒ることを止めることもできません。
それなら、
自分にできることから始めればいい。
今日、自分が誰かに優しくする。
今日、誰かを必要以上に責めない。
今日、うそを一つ減らす。
今日、感謝を一つ伝える。
今日、自分の怒りに少しブレーキをかける。
小さなことに見えるかもしれません。
しかし、人間社会は一人一人の心からできています。
一人の心が少し平和になれば、その人の周りにも少し平和が生まれます。
その人に接した別の人の心にも、何かが伝わるかもしれません。
そうやって、
内側の平和が外側へ広がっていく。
世界を変えるというと、大きなことをしなければならないように思います。
でも、もしかすると、
自分の心を正しい方向へ変えることも、世界を少し変えること
なのです。
社会に失望したときこそ、「人間の魂」を信じてみる
争いを見ていると、人間そのものを信じられなくなることがあります。
「人間はどうせ争うものだ」
「人は自分の利益しか考えない」
「正直に生きても損をする」
そんなふうに思ってしまいます。
でも、アレンは言います。
「すべての魂は、意識的にせよ無意識的にせよ、正義を求めています。」
この言葉を、もう一度思い出してみたいのです。
目の前の人が間違ったことをしているとしても、その人の魂の奥まで「悪そのもの」だと決めつける必要はありません。
その人も、どこかで「正しいもの」を求めているのかもしれない。
ただ、怒りや欲望や恐れに覆われて、それが見えなくなっているのかもしれません。
自分自身も同じです。
自分にも弱さがあります。
失敗があります。
怒りがあります。
欲があります。
でも、その奥には、
「本当は善く生きたい」
という願いがあります。
だからこそ、私たちは自分の弱さに絶望しなくていい。
人間の表面だけを見て絶望するのではなく、
その奥にある「正義を求める魂」を信じてみる。
それが、アレンの言葉から受け取れる希望ではないでしょうか。
「正義の道はいくつもある」からこそ、自分の道を歩けばいい
もう一つ、大切なことがあります。
正義への道は一つではありません。
だから、
「誰かと同じ人生を歩かなければならない」
ということもありません。
他人と比べなくていいのです。
あの人は成功している。
あの人は立派だ。
あの人は社会のために大きな仕事をしている。
それに比べて自分は何もできていない。
そんなふうに思う必要はありません。
正義への道は、一人一人違います。
家族を大切にすることが、あなたの道かもしれません。
仕事を通して人を助けることが、あなたの道かもしれません。
誰かの話を静かに聞くことが、あなたの道かもしれません。
自分の心を整えることが、あなたの道かもしれません。
人生の後半になって、
「これから何ができるだろう」
と思っている人にも、まだ道があります。
なぜなら、
「正しく生きよう」とする心には、年齢制限がないからです。
今日からでも歩き始めることができます。
変わり続ける世界の中で、「変わらないもの」を心の柱にする
私たちは、変化する世界に生きています。
社会は変わります。
技術も変わります。
人の考え方も変わります。
自分自身も変わります。
だからこそ、
変わらないものを心の中に持つこと
が大切なのではないでしょうか。
それが、
正しさ。
誠実さ。
愛。
思いやり。
真理。
善。
そして、
「より善く生きよう」という願い。
これらは、誰かに奪われるものではありません。
たとえ財産を失っても、正直でいることはできます。
地位を失っても、優しくすることはできます。
年齢を重ねても、学ぶことはできます。
環境が変わっても、誠実でいることはできます。
苦しい時でも、正しい方向を選ぶことはできます。
だから、
変化する世界の中でも、自分の人生には変わらない柱を持つことができる。
これが「永遠の原理」に心を置くということなのではないでしょうか。
まとめ~争いの世界に失望しても、「正しく生きる」という希望は失わなくていい
人間社会を見ていると、争いがなくならないことに疲れてしまうことがあります。
「なぜ人間は、こんなに争うのだろう」
「本当に人間は善くなれるのだろうか」
そう思うこともあるでしょう。
しかし、ジェームズ・アレンは、人間の表面だけを見てはいません。
その奥にある魂を見ています。
そして、
「すべての魂は、意識的にせよ無意識にせよ、正義を求めています。
そして、それぞれの方法で、それぞれの知識にしたがって、人はみなその渇望を満たそうとします。
渇望も一つ、正義も一つです。
しかし正義の道はいくつもあります。」
と語っています。
宗教も違う。
思想も違う。
人生の歩き方も違う。
それでも、その奥には、
「正しくありたい」
という共通した願いがある。
だから、違いだけを見て人間に失望する必要はないのです。
そしてアレンは、
「要するに、魂の大いなる欲求とは、正義と呼ばれる永遠の原理への欲求なのです。
この原理が実現されたところに、天の王国があるのです。
天の王国は、魂の永遠の住処であり、あらゆる永遠の恩恵の源であり宝庫なのです。」
と言っています。
ここでいう「永遠」とは、ただ時間が無限に続くことだけではないのでしょう。
時代が変わっても、価値を失わないもの。
それが、正義であり、真理であり、愛であり、善であり、誠実さなのだと思います。
そして、「天の王国」とは、そんな永遠の価値が心の中に実現している状態とも考えられます。
争いの多い世界に生きていても、自分の心まで争いに渡す必要はありません。
人が怒っていても、自分まで怒り続けなくていい。
人が人を憎んでいても、自分まで憎む必要はない。
世の中が不誠実に見えても、自分まで不誠実になる必要はありません。
世界を一度に変えることはできなくても、
自分の心を正しい方向へ向けることはできます。
そして、その選択は何歳になってもできます。
今日、正しく生きようと思う。
今日、誰かに優しくする。
今日、誠実でいる。
今日、自分の怒りを少し手放す。
今日、真実を大切にする。
そんな小さな選択の一つ一つが、自分の中に「永遠のもの」を育てていきます。
だから、争いだらけの社会を見て失望しているあなたへ。
人間社会のすべてを信じられなくなってもかまいません。
それでも、
あなた自身の中にある「正しく生きたい」という心まで、見捨てないでください。
その心は、あなた一人だけのものではありません。
アレンによれば、それはすべての魂にある大きな願いです。
正義への道はいくつもあります。
あなたには、あなたの道があります。
その道を、今日から一歩ずつ歩いていけばいいのです。
変わり続ける人生の中で、変わらない価値に心を置いて生きる。
そこには、社会の状況に左右されない希望があります。
そして、その希望こそが、
「天の王国は遠いところにあるのではなく、正しく生きようとする心の中から始まる」
というアレンの言葉が、私たちに教えてくれていることなのではないでしょうか。