メッセージ

誠実に生きるとは?人生を豊かにする「正しく生きよう」という自己教育~ジェームズ・アレンの言葉より

「もっと誠実に生きたい」
「人から信頼される人になりたい」
「自分のことだけを考えるのではなく、人のことも考えられる人になりたい」

そんなふうに思うことはありませんか。

若い頃は、「正しく生きる」という言葉を聞くと、「悪いことをしないこと」くらいに考えるかもしれません。

しかし、人生を長く生きてくると、正しく生きることの難しさが少しずつ分かってきます。

自分が得をするときでも、正しいことを選べるか。
誰にも見られていなくても、約束を守れるか。
自分が間違っていたとき、「私が悪かった」と認められるか。
腹が立っているときでも、相手を傷つけないようにできるか。

そして、自分の心の中にある「自分さえ良ければいい」という気持ちと、どう向き合うか。

こう考えると、誠実さとは、生まれつき完成している性質ではなく、人間が生涯をかけて育てていく内面的な力なのではないでしょうか。

ジェームズ・アレンは、誠実さについて次のように語っています。

 

「人間社会は誠実さによって一つにまとめ上げられています。
お互いの深い信頼によって、人間の生活は健全で幸せなものとなるのです。
ビジネスの世界も、誰もが自分の義務を遂行するだろうという強い信頼の上に成り立っています。
たとえば、商品の代金は受け取ってから請求されます。
こうしたシステムが昔から続いているのは、大部分の人が、しかるべき支払いをし、支払いをしたくないなどと考えないからです。
人間社会は、様々な欠陥を補うために、真理という強固な土台の上に建てられています。
その土台とは誠実さなのです。」

 

この言葉には、「誠実に生きることは、自分一人の問題ではない」という大切な意味があります。

私たちが誰かを信じることができるから、社会は動いています。

そして、誠実な人が増えるほど、人と人との間に信頼が生まれます。

この記事では、この「誠実さ」という内面的な力について考えてみます。

そして最後には、「正しく生きよう」と思うことそのものが、生涯にわたる自己教育の始まりなのではないかというところまで、
一緒に考えてみたいと思います。

誠実さとは何か?人間社会を支える「見えない力」

ジェームズ・アレンは、

「人間社会は誠実さによって一つにまとめ上げられています。」

と言っています。

これは、とても大きな意味を持つ言葉です。

私たちは普段、社会を支えているものとして、法律やお金、会社、学校、政治などを考えます。

もちろん、それらは大切です。

しかし、それらが本当に機能するためには、もっと根っこの部分に必要なものがあります。

それが、人と人との信頼です。

たとえば、コンビニで商品を買うとき。

私たちは、商品を受け取ってから、
「この商品、本当に自分のものになるのかな」
と心配することはありません。

お金を払えば、自分が買った商品を持って帰ることができます。

仕事でも同じです。

会社で働けば、決められた日に給料が支払われると信じています。

仕事を任せれば、相手が約束した仕事をしてくれると信じています。

友人に何かを話せば、むやみに他人へ話さないだろうと信じています。

こうした「きっと大丈夫」という気持ちが、私たちの生活を支えています。

もし、この信頼がなくなったらどうでしょう。

「この人は約束を守るだろうか」
「この会社は本当に給料を払うだろうか」
「この店は正しい商品を売っているだろうか」
「この人に話したことを秘密にしてくれるだろうか」

何をするにも、疑わなければならなくなります。

そうなれば、毎日の生活はとても疲れるものになります。

だからこそ、アレンは「誠実さ」が社会を一つにまとめ上げていると言うのです。

誠実な人がいる。

その人を周りの人が信じる。

信じられた人も、その信頼を裏切らないように誠実に行動する。

そこから、また新しい信頼が生まれる。

この繰り返しによって、人間社会は成り立っています。

つまり誠実さとは、目には見えませんが、社会の中で人と人を結びつける力なのです。

「自分さえ良ければいい」という利己心が信頼を壊す

では、誠実さを邪魔するものは何でしょうか。

その一つが、利己心です。

もちろん、「自分を大切にすること」そのものが悪いわけではありません。

自分の健康を守る。
自分の生活を守る。
自分の幸せを大切にする。

これは必要なことです。

問題になるのは、
「自分さえ良ければいい」
というところまで利己心が強くなったときです。

自分が得をするなら、相手が損をしてもいい。
自分が楽になるなら、誰かが苦しんでもいい。
自分が責められなければ、誰かに責任を押しつけてもいい。
自分が欲しいものを手に入れられるなら、約束を破ってもいい。

このような考えが広がると、人と人との信頼が壊れていきます。

なぜなら、相手が、
「この人は、自分の利益のためなら私を裏切るかもしれない」
と思うようになるからです。

一人の人間の利己心だけなら、大きな問題にならないこともあります。

しかし、それが社会全体に広がったらどうでしょう。
「どうせ他人も自分のことしか考えていない」
という気持ちが広がります。

すると、人は人を信じなくなります。

信じられないから、相手を監視する。
監視されるから、自分も相手を疑う。
疑うから、さらに自分を守ろうとする。

こうして、人と人との間に壁ができていきます。

反対に、誠実さはこの反対の働きをします。

「この人なら約束を守ってくれる」
「この人なら、私をだますようなことはしない」
「この人は、自分が間違ったときには認めてくれる」

そう思える相手がいると、私たちは安心できます。

だから、

利己心は人と人を離れさせ、誠実さは人と人を結びつける。

この違いは、とても大きいのです。

ここで、教育という問題が出てきます。

人間には、自分を守ろうとする自然な力があります。

「自分が欲しい」
「自分が勝ちたい」
「自分が楽になりたい」
「自分が認められたい」

という気持ちは、誰の心にもあります。

だから、「自分のことを考える」という気持ちは、特別に教えられなくても育ちやすいものです。

しかし、

「相手の立場になって考える」
「自分が得をしても、相手をだまさない」
「誰にも見られていなくても正しいことをする」
「自分の間違いを認める」

ということは、自然にできるとは限りません。

ここに教育の大切さがあります。

誠実さはテストでは測れない。でも社会には欠かせない

学校では、国語や算数、理科、社会などを勉強します。

テストを受ければ、どのくらい知識を身につけたかをある程度知ることができます。

しかし、誠実さはテストでは簡単に測れません。

「あなたは誰にも見られていないときでも、正しいことをしますか?」
「自分が悪かったとき、素直に謝れますか?」
「自分だけが得をする方法があったら、それを選びますか?」
「友達が失敗したとき、その人を笑いますか。それとも助けますか?」

こんな問題に答えても、その人が本当に誠実な人かどうかは分かりません。

なぜなら、誠実さは知識ではなく、実際の行動に表れるものだからです。

「誠実であることは大切です」

と知っているだけでは、まだ十分ではありません。

本当に大切なのは、実際の生活の中で、

「今、自分はどちらを選ぶのか」

と迷ったときに、誠実なほうを選ぶことです。

そして、この力は一度身につけたら終わり、というものでもありません。

人間は、何歳になっても迷います。

自分の利益を優先したくなることもあります。
腹が立つこともあります。
人を責めたくなることもあります。
楽なほうへ逃げたくなることもあります。

だからこそ、誠実さは生涯をかけて育てていく徳なのだと思います。

若い頃に身につけたら終わりではありません。

20歳でも、40歳でも、60歳でも、80歳でも、

「私はもっと誠実に生きられないだろうか」

と自分に問いかけることができます。

そして、その問いかけを続けること自体が、自分自身を教育することになるのです。

「正しく生きよう」と思うことそのものが、生涯にわたる自己教育の始まりなのです。

「正しく生きよう」と思うことが、生涯の自己教育になる

ここまで、誠実さが人間社会を支える大切な力であることを見てきました。

では、その誠実さは、どうすれば身につくのでしょうか。

私は、ここに「自己教育」という考え方があると思います。

学校に通っている間は、先生からいろいろなことを教えてもらいます。

国語を教えてもらう。
数学を教えてもらう。
社会の仕組みを教えてもらう。
人との付き合い方についても学びます。

しかし、学校を卒業したら教育は終わりなのでしょうか。

私は、そうではないと思います。

むしろ、大人になってからこそ、自分自身を教育していく必要があるのではないでしょうか。

なぜなら、大人になると、自分で選ばなければならない場面が増えるからです。

誰かが、
「こちらが正しいですよ」
と毎回教えてくれるわけではありません。

仕事でも、人間関係でも、お金の問題でも、
「自分にとって得なほうを選ぶのか、それとも正しいほうを選ぶのか」
という場面に出会います。

たとえば、誰にも見られていないから手を抜くのか。
それとも、自分の責任としてきちんとやるのか。
自分が悪かったことを隠すのか。
それとも、正直に認めるのか。
相手の失敗を利用するのか。
それとも、その人を助けるのか。

こうした選択の一つひとつが、自分の人間性をつくっていきます。

だからこそ、
「正しく生きよう」
と思うことが大切なのです。

これは、「私はもう正しい人間になった」という宣言ではありません。

むしろ、
「私はまだ成長できる。だから、今日も自分の心を教育していこう」
という決意です。

昨日は自分のことばかり考えてしまった。
今日は、少しだけ相手の気持ちを考えてみる。

昨日は腹が立って、きつい言葉を言ってしまった。
今日は、一度立ち止まってから話してみる。

昨日は自分の間違いを認められなかった。
今日は、「私も悪かった」と言ってみる。

このような小さな変化が、少しずつ誠実さを育てていきます。

そして、この学びには卒業がありません。

人間は何歳になっても、自分自身を教育することができるのです。

大人が正しく生きる姿そのものが、子どもへの教育になる

ここで、もう一つ大切なことがあります。

それは、大人が自己教育を続ける姿そのものが、子どもに対する教育になるということです。

子どもに、
「誠実に生きなさい」
「人に親切にしなさい」
「約束を守りなさい」
と教えることはできます。

しかし、子どもは大人の言葉だけを見ているわけではありません。

大人が実際にどう生きているのかを見ています。

たとえば、大人が失敗したとき、

「ごめんなさい。私が間違っていました」

と素直に謝る。

すると子どもは、

「大人でも間違うことがあるんだ。でも、間違ったら認めればいいんだ」

と学ぶことができます。

分からないことがあったとき、

「私にも分からないから、一緒に調べてみよう」

と言う。

すると、

「大人になっても、分からないことを学んでいいんだ」

と分かります。

誰かに親切にしてもらったら、

「ありがたいね。私たちも人に親切にしよう」

と言う。

すると、

「人から受けた親切を、次の人へ渡していくことが大切なんだ」

と学びます。

そして、自分が得をする場面でも、

「自分だけ良ければいい、ということではないよね」

と考えて行動する。

それを見た子どもは、言葉では教えられなくても、

「人間は、自分以外の人のことも考えて生きるものなんだ」

と学んでいきます。

つまり、教育とは、言葉だけで行うものではありません。

生き方そのものが教育になるのです。

完璧な大人になる必要はない

ここで、大人が「子どもの立派な手本にならなければ」と考えすぎる必要はないと思います。

私たちは誰も完璧ではありません。

利己的になることもあります。

怒ることもあります。

失敗することもあります。

人を傷つけてしまうこともあります。

だからこそ、自己教育が必要なのです。

大切なのは、失敗しないことではありません。

失敗したあとに、
「もう一度、正しく生きよう」
と戻ってくることです。

「さっきは自分のことばかり考えていたな」
「今の言い方は相手を傷つけてしまったな」
「自分にも悪いところがあったな」

そうやって自分の心を見つめる。

そして、少しずつ修正していく。

その姿こそ、子どもにとって大切な教育になるのではないでしょうか。

「人間は、何歳になっても成長できる」

ということを、大人自身が生き方によって見せることができるからです。

まとめ~誠実さを育てながら、生涯現役で生きる

ジェームズ・アレンは、次のように語っています。

 

「人間社会は誠実さによって一つにまとめ上げられています。
お互いの深い信頼によって、人間の生活は健全で幸せなものとなるのです。
ビジネスの世界も、誰もが自分の義務を遂行するだろうという強い信頼の上に成り立っています。
たとえば、商品の代金は受け取ってから請求されます。
こうしたシステムが昔から続いているのは、大部分の人が、しかるべき支払いをし、支払いをしたくないなどと考えないからです。
人間社会は、様々な欠陥を補うために、真理という強固な土台の上に建てられています。
その土台とは誠実さなのです。」

 

この言葉から私たちが学べることは、とても大きいと思います。

人間社会は、法律や制度だけで成り立っているのではありません。

その土台には、人と人との信頼があります。

そして、その信頼を生み出しているものの一つが、一人ひとりの誠実さです。

誠実さは、テストの点数では測れません。

学校の成績表に、

「今年は誠実さが90点でした」

と書かれることもありません。

しかし、社会にとって、とても大切な力です。

約束を守る人がいる。
正直に生きる人がいる。
自分の間違いを認める人がいる。
自分の利益だけを考えず、相手のことも考える人がいる。

そういう人がいるから、私たちは人を信じることができます。

そして、私たち自身もまた、誰かから信頼される人間になることができます。

もちろん、人間には利己心があります。
「自分さえ良ければいい」
と思ってしまうこともあります。

だからこそ、誠実さは自然に完成するものではありません。

生涯をかけて育てていくものなのです。

その意味で、
「正しく生きよう」
と思うことには、大きな価値があります。

それは、「自分は正しい人間だ」と思うことではありません。

「もっと誠実な人間になろう」
「もっと人を信頼できる人間になろう」
「自分の利己心に気づいたら、少しずつ直していこう」
と、自分自身を教育し続けることです。

そして、その自己教育に年齢制限はありません。

20歳でも、50歳でも、70歳でも、何歳になってもできます。

人生の後半になってからでも、

「これからの人生は、もっと誠実に生きてみよう」

と決めることができます。

それは、決して遅いことではありません。

むしろ、これまでの人生経験があるからこそ、誠実さや信頼の大切さを深く理解できることもあります。

若い頃には分からなかったことが、長く生きてきたから分かる。
人間関係で傷ついたからこそ、人を大切にすることの意味が分かる。
失敗したからこそ、正直であることの大切さが分かる。
自分の弱さを知ったからこそ、自分自身を教育する必要が分かる。

そう考えると、人生経験そのものが、自己教育の教材になります。

そして、私たちが誠実に生きようとする姿は、次の世代にも伝わっていきます。

子どもに「正しく生きなさい」と言うだけではありません。

自分自身が、正しく生きようとする。
失敗したら、やり直す。
間違ったら、認める。
人に親切にする。
約束を守る。
自分だけの利益を求めすぎない。

そして何歳になっても、
「まだまだ自分は成長できる」
と思って生きる。

その姿そのものが、子どもたちへの教育になります。

だから、「生涯現役」という生き方も、仕事を続けることだけではないのだと思います。

生涯、自分自身を教育する。
生涯、誠実さという徳を育てる。
生涯、「正しく生きよう」という心を失わない。

これもまた、人間としての生涯現役ではないでしょうか。

社会を変えるために、まず大きなことをする必要はありません。

今日、約束を一つ守る。
今日、正直に一つ伝える。
今日、自分の利己心に一つ気づく。
今日、誰かに一つ親切にする。

そして夜になったら、
「今日の私は、少しでも誠実に生きられただろうか」
と自分に問いかけてみる。

その小さな自己教育を続けていく。

それによって、少しずつ自分の内面に誠実さという徳が育っていきます。

そして、その誠実さが、人との信頼を生みます。

人との信頼が、家庭を支え、仕事を支え、社会を支えます。

一人の人間が「正しく生きよう」と思うことは、小さなことのように見えて、実は社会を支える大きな一歩なのです。

何歳になっても、私たちは自分の生き方を選ぶことができます。

だから今日も、自分自身にこう問いかけてみたいと思います。

「私は、今日も少しだけ誠実な人間になれるだろうか」

その問いを持ち続けること。

その問いに答えながら生き続けること。

それこそが、生涯にわたる自己教育なのだと思います。

 

 

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